人間の自治

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人間がその欲望を自らコントロールすることによって、その欲望のエネルギーを高次の価値の創出に昇華することは、まさに人間の理想の生き方ではないだろうか。ここに教育の眼目がある。現代の教育論は受験体制の弊害をいかにとりのぞくかに終始して、制度論ばかり議論している。教育改革とは教育の中身を問わねばならない。しかるに政府も教育関係者もほとんど理想がないのである。飛び級制度だとか、中高一貫教育とか形ばかりではいくらいじっても、未来の日本の若者に希望を与えることはできない。枝葉末節ではなく、教育の本質論こそ議論せねばならないのだ。

国の根幹は人づくりであることを認めるならば、世界最高と自負できる教育体制を構築しなければならない。それは科学技術のみならず、精神文化においても同様でなければならない。国ができなければ民間が自由にやれるようにすることである。

精神文化の領域で最高の教育はやはり東洋の思想に学ぶことではないだろうか。儒教・老荘思想・仏教をはじめとする東洋の叡智の中に、教育の理想精神が宝物のようにうずもれているのではないだろうか。もちろん私は戦前のような滅私奉公を復活せよと言っているのではないし、東洋思想にもそれぞれ功罪はあることを認識した上での話である。

教育の理想は、人間のもつ欲望を昇華して価値創造へと実践できる人間づくりである。これこそ人間が自らを治める(自治)ことなのである。人類の歴史はまさにこの欲望から価値創造への過程であったのであるが、時々それが暴走して殺し合いをしたり、戦争になったり、公害を撒き散らしたり、過労死やエイズの蔓延のような問題を引き起こし惨禍を招いてきた。また昨今の地球温暖化の問題は、大量生産・大量消費の先進国型の無限の欲望の充足はあり得ないことを提示しているのである。

人間の自治とは、欲望に振り回されない主体的で確固とした人間の完成であり、心の欲する所矩を踰えぬ境地である。このことは至難ではあるが、そこに独立した個人としての輝きとともに、他人あるいは共同体と共和し、全体の活動を円融無碍ならしめてゆくことができるのである。教育はこの人間の自治という理想を追求する過程である。

利権に汚れた政治家、高級官僚の腐敗、企業経営者の倫理の喪失。これらがやはり現代の日本の漠然とした衰退の原因になっていることは間違いない。これら日本のリーダーともいうべき人々が理想を失い、私利私欲に走り、組織を私物化しはじめたことが大きな問題なのである。日本の政治・行政・経済の最大の難問は指導者教育の不在であると喝破したい。権力をもつ日本の指導者は私利私欲を抑える厳しい自己規律が求められる。今もっとも求められるものは、指導者教育ではないだろうか。

このように教育の理想がしっかりと定まっておれば、制度は地域等の実情にあわせてできるだけ自由に柔軟にしておくことである。いつまでも文部省が一律に指導する必要はまったくないと思う。

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