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『心情倫理家は、純粋な心情の炎、たとえば社会秩序の不正に対する抗議の炎を絶やさないようにすることにだけ責任を感じる。』『(心情倫理家は)純粋な心情から発した行為の結果が悪ければ、その責任は行為者ではなく、世間の方に、他人の愚かさの方にあると考える。』『責任倫理家はこれに反して、人間の平均的な欠陥のあれこれを計算に入れる。つまり、人間の善性と完全性を前提してかかる権利はなく、自分の行為の結果が前もって予見できた以上、その責任を他人に転嫁することはできないと考える。これらの結果はたしかに自分の行為の責任だと、責任倫理家は言うであろう。』『(責任倫理家は)人は予見しうる結果の責任を負うべきだとする責任倫理の準則に従って行為する。』 |