21世紀の政治理念とは何か(2)

坂口安吾の「わが施政演説」〜軍国主義・共産主義を批判

先日、「堕落論」で有名な作家、坂口安吾が書いた「わが施政演説」という題の未完の時評が、東京の古書店で見つかったという京都新聞の記事がありました。同記事によれば、 「人間の生活には、政治ではどうすることもできない部分があって」と、政治の限界が、まず記されている。 その上で、「国民服というものを着せ、精神の方にも、日本的な制服を着せる考へ」を持っていた「戦争中の軍人政府」と、「法則通りの精神服を着用しなければいけない」共産主義の両方を、政治でなんでもできると思い込んでいる「横車の政治」と批判している。

政治に理想は必要だが、理想の早急な実現は考えてはならないとした後、「民族の未来のためとか、永遠平和のため、とか、さういふ有りうべからざる」と書いたところで、文章は突然終わっている。」 この中に、私はいくつかの真実が含まれていると思います。軍国主義・共産主義については、21世紀を目前にした現在でも、そのまま当てはまる論評ではないでしょうか。


民主主義とは、独裁政治を防ぐこと

世間では戦後民主主義を揶揄する方も多いのですが、私は、それでも大きな意義を有していると思います。 それは独裁政治を防ぐというものです。軍国主義は当然としても、共産主義について、民主制の一形態のように思われる方もいるかもしれませんが、共産主義に関する出版物を読めばわかるように、「プロレタリアート独裁」の政治体制がはっきりしています。

すなわち、一部の「前衛」が、大多数の国民を支配し、命令する絶対的な権力構造が共産主義の特徴です。ですから、共産主義と民主制とは全く正反対の体制であり、最近のスマイリングコミュニスト(笑顔の共産主義者)に騙されてはいけないのです。

ナチスや日本の軍国主義が国家や国民を破滅に導いたと同様に、ソ連邦をはじめとする世界の共産主義国家が、その後完全なる失敗に終わったことは余りにも有名です。おまけに、ソ連邦ではスターリンという独裁者が、一千万人を超える大虐殺まで犯していたことも明らかになりました。 坂口安吾は、戦後まもなく、流行した共産主義思想のこのような危険さを鋭く見抜いて、上述のような論文を書いていたものと思われます。しかし、このことは現在でも、十分に心しなければならない点であります。


その後、日本の共産主義者は自らを科学的社会主義と称し、ソ連邦は官僚主義と覇権主義の故に滅亡したのであり、日本の共産主義はソ連邦とは違うと言い張っています。しかし、これなどは表層的な言い訳であり、坂口安吾は、共産主義のもっと本質的な問題を喝破しています。

それは、共産主義というものが、「政治でなんでもできる」という根本的な誤りを犯しているということなのです。私は政治を絶対視するのではなく、政治も所詮、その国の文化や文明の一形態に過ぎないという相対的な見方が必要であると思います。

もちろん、政治が国の基本的な方向を決定するのですが、その底流にはもっと大きな国民全体の意思というものが働いているのです。そしてその国民全体の意思に対して、深く影響を与えているのは、やはり国の文化や文明というものであると思うのです。


次号に続く

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