私の政治哲学(第1回)

はじめに

日本が混乱している。いつまでたっても経済は良くならないし、失業問題も深刻である。私も何とかしなければならないと決意し、今まで様々なことを提案もしてきた。しかし問題は大きく根が深い。そこでいろんな人がいろんな政策を主張している。「第二の黒船の時代だ。アメリンカンスタンダードだ。」と叫んで政府は、新自由主義的・構造改革路線を主張している。「デフレなのだから日本銀行がお金を刷って、国債を購入すればよい」という無責任な「インフレ政策」を言う評論家も多い。他方で「21世紀は地球環境を大切にするヨーロッパを見習え。」「失業問題の克服はオランダモデルだ。」とか、最近では「知識資本主義の時代は、人間性回復の経済学だ。」などと、まるで公明党のお株を奪うような東大の先生まで現れている。まさに百家争鳴の感がある。

私はこのような時代こそ哲学が大事だと思う。もはや薄っぺらな経済技術論では役に立たない。また共産主義や国家主義のようなヒステリー症状に逃避してはいけない。根本的に考えるべきである。「人間いかに生きるべきか(倫理学)。幸福とは何か。欧米だけではなく、日本独自の文化を見直すべきではないのか。政治の目的とは。政治家はいかなる構想を描き、どのような実践をなすべきか。」等々、古今東西の大哲学者の書をひもときながら、私なりに思索してみたい。

アリストテレス著「二コマコス倫理学」(岩波文庫 高田三郎訳)


アリストテレス(紀元前384-322)は二千三百年を経た現代においても、世界最高峰の大哲学者と言える。彼はこの著書の中で次のように述べている(但し、私なりの表現に変えていることを予めお断りしておく)。

すべての人間活動の目的は善であり、最高善である。』そして『人間というものの善こそが政治の究極の目的でなくてはならぬ。』『なぜならば、政治は国において他のもろもろの学問を役立てるものであり、さらにまた何をなし、何をなさざるべきかについて法を作るものなるがゆえに、政治の目的は他のもろもろの学問の目的を包括しているからである。』また、『善は個人にとどまらず、国(ポリス)の善の方がより究極的である。』さらに『最上の善とは幸福にほかならない。』

この論法によると、政治の目標とすべきは人間の善=幸福であり、究極には国(ポリス)全体の善=幸福であるということになる。では幸福とは何か。彼は『快楽や富や名誉』には存しないという。そしてその幸福の概念について精緻な分析で解明していくのである。彼の幸福論については、別の機会に譲ることにしたい


牧口常三郎著「創価教育学体系」

現在の創価学会の前身である創価教育学会の初代会長で、哲学者の牧口常三郎先生の価値論に注目したい。先生は『人生とはつきつめれば価値の追求であり、幸福とは豊かな価値創造力を獲得することだ。』すなわち価値創造の人生こそが幸福な人生だという。


『価値とは評価主体(人間)と対象(物や環境)との関係力である。ある物に価値があるかないかは、人間生命との関係によって決まる。』また、『価値は人間が生み出すことができるものだ。人間は自然の力や金、銀などの物資を作ることはできないが、それを人間にとって価値あるものにすることはできる。』

さらに、先生は『人間が幸福になるために追求すべき価値は、美・利・善である』という独創的な価値論を打ち立てる。これはカントの「真・善・美」のうち、真理は人間がつくることができないものであり、それが真理であるということを認識するだけのものだから、価値とは区別されている。『美』は芸術文化の追求である。そこには心のやすらぎなども含まれる。『利』は経済的・合理的・能率的価値のことで、広い意味での利益の追求である。

『善』は社会的価値で、公益のことである。つまり社会全体の利益を増進することが『善』であるという。『善』は個人の好悪(美の価値)や損得(利の価値)よりも上にあるもので、個人にとっては利益であっても社会に害を及ぼすものであれば悪となり、個人にとっては損であっても社会に益があれば『善』だという。


アリストテレスは国の『善』を究極のものとし、牧口先生は社会的価値としての『善』 =公益を最も追求すべき価値とした点において、二人の一致が見られるのである。とするならば、政治の最高目的は『善』=「社会全体の利益」という価値を追求することにあることが明らかとなる 。

つづく

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