| ||||||
文化と芸術のコーナー(第6話) 「ビューティフルマインド」
私はまずこの「ゲーム理論」に大いに注目したい。これは150年間も定説とされていたアダム・スミスの「国富論」を覆す経済社会上の大発見である。映画の中では概ね次のように解説している。 アダム・スミスは個人が自分の利益を追求することが、「見えざる手」に導かれて社会全体の利益を最大にすると説いた。しかしナッシュはこれは誤りであって、自分の利益とともに、全体の利益を同時に考慮し追求することが正しいと説く。このことがある均衡点において個人の利益と全体の利益を最大にするという。現在この「ゲーム理論」は寡占産業の分析から金融政策のルール策定、オークションの仕組みの設計から国際紛争の分析まで幅広い応用の可能性を広げていると言われる。 この理論は私のように現実政治に携わっている者にとっては、実に様々なヒントを与えてくれる。たとえばこの理論が正しいとすれば、私益の追求を基本とする自由主義・市場主義だけでは、あるいは全体益の追求を命題とする国家主義や共産主義だけでも、個人の幸福と社会の繁栄を最大にすることはできないことになる。もちろんこの理論をいきなり社会全体に適用することは無理があるかもしれない。しかし家族や小グループ、会社のような組織を具体的に考えてみるとうなづけるところがある。
さて映画の主人公はプリンストン大学院生の頃、「すべてを支配する真理、真に独創的なアイデアを見つけたい」というすさまじい知的欲望があった。このパワーは彼を成功させるのであるが、逆にとどまるところを知らなかったために主人公自身の精神を破壊してしまう。 長い闘病生活を経て奇跡の再生をもたらしたものは、直接的には若い学生たちに教えることで社会との接点を取り戻したことであり、本人が家族のためにも絶えず現れる幻覚と決別する強い意志を持ち続けたことである。しかし回復のためのより深い遠因は、精神錯乱状態の夫を支え続けた妻の無限大の愛−仏教で言う菩薩道−ではなかったか。 日本など先進諸国の経済政策には「新古典派理論」が反映されている部分も多いのだが、ただこの理論は「人間行動の戦略的な要素」を分析に取り込むことができないという問題点を抱えている。ナッシュの「ゲーム理論」はこの「戦略的要素」が、一貫性をもった数学的モデルによって分析可能になることを明らかにした。
|