政治の焦点

政治の焦点(第10話)

日本共産党のここがおかしい

今朝1月17日の新聞折込に、「民主府政の会」のちらしが入っていた。内容は今度の京都府知事選に立候補を表明している、共産党推薦の「森川明」氏の紹介だけであった。これは明らかに事前運動であって公職選挙法違反である。日本共産党はこのように目的のためには手段を選ばない。何でもするのである。

ちらしの主旨は、私の解釈では、「中小企業の倒産も解雇の急増も、医療や介護のお年寄りの負担増もすべて国や自治体が悪い。構造改革も弱いものに痛みを押し付けるもの。テロを口実とした海外派兵や有事立法の動きをやめさせなければならない。憲法が蹂躙されている。これに悲憤慷慨し再び立候補を決意した。」というもの。

私はまず、自由主義社会の中にあって、個々人の生活がうまくいかないのは、すべて政府や自治体が悪いのだという論法は、まったく間違っていると思う。確かに世の中には矛盾がある。これをできるだけ公正なものにしていくのが政治の務めである。しかし日本人の生活の不如意が全部政府や自治体の責任であろうか。

日本共産党は物事の一面だけを誇張して悪宣伝する。しかし世の中はそんな単純なものではない。多くの複雑な原因があって結果は生まれてくる。日本共産党に洗脳されてしまうと、日本人はうまく行かないことがあるといつも自己責任を放棄して、「あいつが悪い、世の中が悪い」という、嫉妬と恨みばかりの人間になっていくのではないだろうか。責任転嫁や嫉妬・恨みの感情は、かえってその人の人生を不幸にするだけだ。また社会を荒廃させていく。

私が小泉総理を評価しているのは、国民に甘いことを言わないからである。緊急に外科手術が必要で、それをすれば助かる見込みがあり、かつ体力もある患者に、少々痛いからといって痛み止めだけで済ます医者はいない。今の日本はまさにその患者なのである。それを先送りすれば死ぬだけだ。日本共産党は、手術を怖がって泣き叫んでいる子どもよりも情けない政党と言わざるを得ない。否、日本を本当に死に至らしめるために、そういっているのかもしれない。

日本のデフレ不況は、中国の生産力の著しい台頭と、世界的な IT(情報通信革命)化という大変化によるものであって、これに対応するために日本全体が必死で変貌を遂げようとしている過程から生じている。日本にとっては全く未知の体験であって、誰も正解などわからない。それをすべて他人と政府の責任になすりつけても何の解決にもならない。まず自分が変わり、社会を変えていくという力強い決意が必要だ。その上でお互いに助け合い、知恵を出し合ってこの難局を乗り越えていくしかない。

つづく

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