政治の焦点

政治の焦点(第7話)

同時多発テロ問題にどう対応すべきか

問題の本質

去る9月11日に米国で起きた同時多発テロは、戦争を超える絶対悪と言うべき犯罪である。なぜなら、戦争の場合でも軍人対軍人の戦いというのが一応原則であるからだ。真珠湾攻撃の時でも、日本軍は米軍の軍事施設を攻撃しているだけだ。これに対して、今回の事件は一般市民を無差別・大量に虐殺した点で、戦争以上の悪業といえる。背後にどのような宗教的確信があろうとも、それは間違っている。犯人達はアメリカという国に対して攻撃をしたと思っているかもしれないが、実は人類全体に対する罪を犯しているのである。

どう対応すべきか

通常の国内犯罪であれば、日本の警察が捜査を行い、犯人を逮捕する。そして検察によって起訴され、裁判所が刑罰を確定し執行される。しかし今回のような国際犯罪については、各国家から独立した国際的な警察機構や裁判所は存在しないのである。とすれば、米国が自衛権を行使してテロと戦うか、もしくは国連の武力行使容認決議によって、あるいはそれが得られない場合は、米国を中心とする反テロの国家包囲網によって処罰するしかない。

犯人グループの背後にいる首謀者や、組織あるいは国家が明らかであるならば、当然今回の犯罪に対して処罰されなければならない。現在報復攻撃は新たな報復を招くだけであり、何もしない方がよいという主張があるが、私はこれには賛成できない。罪を犯したものは必ず処罰されなければならない。新たなテロを恐れて罰しなければ、テロをやった方が得をすることになる。このことは国内法との対比でも明らかである。これが筋である。

米国も馬鹿ではないから、姿の見えないテロ集団に対して単純な軍事行動を仕掛けるとは思われない。できるかぎり国際世論による包囲網を形成して、犯人グループを追い込んでいくだろう。しかし、最後の最後では軍事力の行使もありうるとみなければならない。

その場合日本としては、武力行使以外の分野で米国に協力することが必要だ。なぜなら日本は米国の同盟国であること。さらに、テロ対策は国連の決議の有無にかかわらず、国際社会の共通の認識であるからだ。

そこで今新法をつくり、自衛隊を米国の後方支援のために、戦闘行為の行われていない地域へ派遣することが政府の方針となりつつある。具体的には、米軍への食糧、衣料などの生活物資の輸送・補給、武器・弾薬の輸送、またアフガニスタンからの難民支援、医療支援などである。そのためにはパキスタンまで自衛隊は行かざるを得ないと思う。新法に加えて、パキスタンへの緊急経済援助、原発などへの自衛隊による警備強化などが必要だろう。

自衛隊では護衛艦を米軍に対して派遣することも検討されているようだが、実際は自衛隊が米軍に護衛されるようなものだ。医療行為や兵士の救済程度なら意味があるかもしれないが、実際は足手まといになるだけだろう。在日米軍施設の警備などもおこがましい話だ。彼らは日本に守ってもらわなければならないほど弱くない。


こういう議論をすると、自衛隊が攻撃されるなど危険に見舞われたらどうするのかという人があるが、全く危険のない貢献などありえない。湾岸戦争の時のように金だけですまそうというのは、世界ではもっとも卑しい行為とみなされる。米国の同盟国として、また世界の主要国の一員として、日本も危険を冒して働くことが求められているのだ。繰り返すが、これらはあくまでも、武力行使ではないのである。

日本国憲法の大切さ


だからこそ、今の日本国憲法は大きな意味をもってくる。中曽根元総理や小沢一郎氏はこの際憲法の解釈を変更して、集団的自衛権を認め、武力行使についても米国と一緒に行動できるようにすべきだと主張しているが、私はこれこそ間違っていると思う。集団的自衛権の行使を認めるということは、米国の戦争に直接的に加担することを意味する。現在の日本人はそこまでは容認していない。憲法の制約の中でできるだけのことをするからこそ尊いのだ。自衛隊の武器使用についても、自衛隊の安全を守るために、防御的な対応を中心にして、憲法の制約の中でどこまで認めるかを考えるべきである。

この国会の動向は見逃せない。

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