政治の焦点

政治の焦点(その4)

自民党の本音と靖国神社参拝問題

■ 自民党の本音

小泉総理はやはり変人である。彼は今、田中角栄以来、自民党建設族のパワーの源泉であった「道路特定財源」の使途の見直しを進めようとしている。また「郵政民営化」、「地方交付税の改革・削減」、「医療費総額の規制」などをやろうとしているが、これらはもはや「革命」に近い所業である。国民の支持率が高いのは、一人でこの「革命」を実行しようとしているからで、多くの人々は自民党を応援している訳ではない。

しかし自民党の利権グループや国防族から見ると、
参議院選挙までは小泉総理を利用し、あわよくば衆参同日選挙によって、両院で圧倒的な過半数を獲得したい。そして公明党をまず切り捨てる。その後は、小泉総理の構造改革にいろいろと難癖をつけて、ほとんど先送りする。

さらに、ブッシュ政権と呼応して集団的自衛権を容認し、憲法解釈の変更・改正まで持ち込む。右翼反動的な国家をつくりあげる。小泉総理は国民の信頼を失い、構造改革半ばで辞任に追い込まれる。こういうシナリオではないだろうか。その時に自民党を出てももはや遅し。いわば、小泉使い捨て論である。

このような観点から、与党に公明党が参加していることは大変意味のあることだと思う。平和と大衆の視点から、自民党の反動勢力を牽制している公明党は十分に存在意義がある。むしろ公明党は小泉総理を助けて、本当の構造改革をやらせることにその使命があると言えるだろう。

だから国民は、6月の東京都議会議員選挙でも、7月の参議院選挙でも、「小泉総理が好きだから、自民党の候補者はすべて応援する」というような馬鹿な行動をとってはいけない。当該候補者が本当に利権を打破し、構造改革をやろうとしているのか。時代錯誤の国防議員ではないか。見極めねばならない。

■ 靖国神社参拝問題

 さて、小泉総理は8月15日には、靖国神社を参拝すると明言している。これが中国・韓国のみならず国内からも問題視されている。

 しかし小泉総理の本心は、軍国主義にもどろうという右翼思想ではないようだ。総理の祖父は鹿児島の出身で、太平洋戦争末期、鹿屋という所に特攻隊の基地があった。そこから多くの青年達が沖縄戦で、自爆することで一隻でも多く敵の軍艦を沈めるために飛び立っていったのだが、当時の特攻隊員の合い言葉は「靖国神社で会おう」であった。政治指導者の誤った判断により国家破滅の危機に瀕し、自らの生命を投げ出して国を守ろうとした兵士達を悼むという総理の心情が、靖国神社参拝という行動となって現れているものと思う。その総理の気持ちは理解できる。

しかしながら、戦争の原因というものをよく考えてみなければならない。ここでは述べきれないほど様様な要因があるのだが、私はそのひとつとして、戦前国家が国民の思想・信教の自由を侵し、批判勢力を弾圧し、国家神道を強要することによって、戦争を遂行していったという事実を重くみている。まさにその体現が靖国神社であったのだ。

このような理由から日本国憲法20条、すなわち「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」との政教分離条項が定められたのである。

したがって、総理が靖国神社に公式に参拝するということは、靖国神社に特別の地位を与えるものとみなされることになり、憲法上の疑念がある。もちろん総理にも信教の自由はあるので、個人として参拝することは一応問題ないとは思う。

なお中国や韓国からは、靖国神社にA級戦犯が合祀されているから問題であるという意見があるが、私はそうは思わない。連合国による東京裁判で、28名のA級戦犯が起訴され、東条英機以下7名が絞首刑となったのだが、しかし、東京裁判は勝者による復讐の祭典でありこれほどいいかげんなものはない。戦争責任を一部のA級戦犯だけに押し付けるわけにはいかない。日本国民全体の責任であり、また白人による侵略・植民地支配を当然としてきた、思い上がった帝国主義連合国側の責任でもあると私は考えている。

私の明治以降の歴史認識、とりわけ満州事変・日中戦争・太平洋戦争観、ソ連参戦問題等については、改めて述べることにしたい。

それにしても21世紀の政治を執るためには、歴史認識が大変重要である。戦争を防ぎ平和を確立するには、やはり真の意味での「自由」と「民主主義」が保証されていなければならない。また、日本国憲法第九条の意義は大きい。これらは戦争から生まれた歴史的必然の所産であり、国際情勢の変化くらいで簡単に変更できることではない。私は、この「自由」と「民主主義」と「平和」の価値を具体化する実践行動が、公明党政治家の任務であると考えている。

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