政治の焦点

政治の焦点(その3)

構造改革とは何か

小泉総理によって「構造改革」という言葉が時代のキーワードになっている観があるが、それでは「構造改革」とは具体的には何を指しているのだろうか。私なりの認識と意見を簡潔に述べたい。

構造改革の目的

1940年体制とも言われる多くの戦後システムが、21世紀を迎えて通用しなくなったのであり、これを構造改革して日本人の新しい価値観やこの国のあり方を作り出すことに目的がある。
構造改革の中身

■ 不良債権処理よりも不良銀行処理を

資本注入をやめ不良銀行の整理・淘汰、そしてペイオフの実施を

世間では、構造改革といえば不良債権問題と捕らえているが、本当にそうであろうか。これが片付いたからといって銀行融資が増えるわけではない。今でも貸せるところには貸しているからだ。
企業の倒産や失業者が増大する不良債権処理は、銀行の自主性に任せるべきである。企業のメインバンクは、責任をもって当該企業の再建にあたるべきであり、不良債権処理と称して徒に倒産を増大させてはならない。
むしろバブル期の甘い過剰融資により経営が悪化し、もはや改善の見込みの無い銀行こそ、合併を含めて整理淘汰を促進することの方が大事である。
また今後は安易に銀行への資本注入はやるべきでない。98年の金融危機の時は緊急避難としてやむを得なかったが、これからは、つぶれるべき銀行はつぶす。そしてペイオフ(預金者への一定額の払い戻し)はきちんと実施する。これが正しい政策だ。

確かに不良債権処理が進んだ方が、日本の銀行や経済全体の信用力は高まるが、それよりも大量の企業倒産と失業者を出さないことの方が重要である。上のやり方でも結果的に不良債権は減るのであり、痛みも少ない。 急な不良債権処理は必ず膨大な失業を生み出し、財政出動を必然化する。そうすると折角の財政構造改革は最初から挫折する。この点において私は政府の方針には反対である。

■ 政府の構造改革

郵政事業など特殊法人の民営化や廃止に象徴される問題である。日本には巨大な共産主義社会がここに存在する。その弊害はこれ以上ここで述べる必要もない。
ひとつ言えば、郵政事業は民営化すれば、その莫大な株式売却益を国債の返済原資にあてることができる。
さらにもっと大事なことは、官僚制度の抜本改革である。東大支配体制と階級制度。そこから来る創造力の低下、潜在能力のある多様な人材の供給・登用の阻害など、まさにアンシャンレジームの改革が求められている。

■ 財政構造改革

666兆円という膨大な債務を抱えた日本の財政をどう建て直すのか。小泉総理は第一段階として、国債の新規発行額を30兆円以下に抑え、第二段階として将来税収の範囲内に国債費以外の歳出を抑える(プライマリーバランス)という。
もしもこれができれば歴史に名を残すのではないか。それほど至難の改革であるが、私もやらねばならないと思っている。第一段階でも来年度予算で3兆円程度の歳出削減をしなくてはならないという。公共事業の見直しは当然であり、防衛費や福祉予算でもカットはあると覚悟せねばならない。

■ 社会保障改革

世界一の超高齢社会に突入した日本。もはや負担は軽く、給付は重くという幻想は抱けない。医療・年金・福祉のいずれも負担と給付の見直しが不可欠である。また診療報酬体系や薬価基準の見直しも必要だ。医師会も覚悟してもらわなければならない。また日本共産党のレトリックに騙されてはいけない。

■産業構造の改革

戦後護送船団方式で守られてきた金融業界や、例えば鉄鋼、造船、石油化学、繊維産業など東南アジア諸国の激しい追い上げに遭っている業界、その他これまで様様な規制によって保護されてきた多くの業界が、世界的な大競争時代を迎えて、成り立ち行かなくなっている。
日本の産業界が自動車や電機などに加えて、情報通信や環境、バイオ、福祉など新しい産業構造へと転換を迫られている。
その主役は民間企業であり、技術革新である。政府はこれを促進する政策を打ち出さねばならない。私は、中小企業技術革新制度(SBIR)を地方へ展開することが重要と考えている。

■ 金融構造の改革

従来の銀行融資という間接金融方式から株式や債券市場などの直接金融方式への転換が最も重要である。銀行はこれまで産業界を支配してきたが、それは融資という方法しか資金の調達手段が無かったからである。現在のように不良債権問題やBIS規制などから銀行そのものが危なくなると、当然企業にはお金が回らなくなる。 従って、銀行を経由しないで、企業に資金を供給できる仕組みを作らねばならないのだ。
特に中小企業への株式・債券投資の仕組みを構想しなければならない。現在のように、担保・保証人主義の融資体系では、企業家は一度失敗すると二度と起ち上がれない。他方銀行借り入れが無く、株式投資で資金を調達できる会社であれば、会社がつぶれても再起のチャンスはあるだろう。

■ その他の改革

地方分権改革・教育改革など大改革があるが、ここでは省略する。 新しい価値観とは 少なくとも共産主義思想や全体主義思想に回帰することではありえない。 私は、まず日本人の「自由」を考え直す必要があると思う。小泉総理に代るまでの自民党では、密室で総裁が決まったり、自由な発言が封じ込められていたり、派閥順送り人事で能力ある人を埋もれさせていたり、これが自由と民主主義を標榜する政党かと疑われていた。同様のことは日本中至るところにあるだろう。
しかしそのような社会主義では、世の中を飛躍的に発展させていく原動力は生まれてこない。なぜなら頑張っても、順送りの人事と同じ報酬しかなければ、誰も頑張らなくなるからだ。
現在の深刻な経済状況を再建することは容易ではない。これを打破するには個人の自由な創造力と実行力が不可欠であり、政府自身はできる限り小さくして、国民の自由な活動を伸ばさなければならない。
その上で政府は倒産や失業などの万一のための最低限の安全網を用意する必要がある。また弱肉強食に陥りがちな市場経済を公正でフェアーなものにする審判役となる。 それにしても小泉構造改革は実際に始まると、国民に相当な痛みを与えることは確かだ。これまでは国債という借金によって経済成長を伸ばしてきたが、もはや借金ができないのだから、モノ・金を伸ばしていくような経済運営はもはや不可能である。生活の質を変え、文化や環境の中に豊かさを見出していくような生き方を指向せざるを得ない。 21世紀は地域主義の時代になると思う。もちろん、外交や防衛、国際経済問題、先端的科学技術など国家としてやらなければ成らないことは残るが、それ以外の分野では新しい発想はもはや中央集権体制の中からは出てこない。それは地域と家庭にある。
だから抜本的な地方分権改革が必要だ。できる限り国家のやるべきことを減らし、地方に権限を委譲する。しかし道州制などは中二階で、中途半端であり反対だ。もうひとつの重要なポイントは、税源を都道府県や市町村に与えることだ。私は所得税をやめて、住民税一本にすればよいと考えている。
また東京の遷都はやらなければならない。3千万人を超えるメガロポリスなど、人間が健康に生きていく都市環境ではない。石原都知事がいくら頑張ってももはや限界である。私は全国の地方都市への投資こそ必要であると考える。 最後に教育について一言。21世紀は、世の母親が「子どもに受験勉強させて、役所か大企業に勤めて安泰に暮らす」ことを理想としない方がよい。自分の個性を活かすために、一生懸命本当の勉強をやり、自分の夢を実現するために独立していくことが一番偉いというような社会を創りたい。

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