政治の焦点

政治の焦点(その2)

日本の総理大臣を考える

自民党の総裁選

この原稿を書いている今、自民党の総裁選が喧しい。四人の候補者の話を聞いているとこちらも執筆意欲が湧いてくる。 総裁選では経済政策が中心をなしているが、私から見て一番説得力があるのは、やはり小泉純一郎氏である。日本の危機を克服するためには、彼の構造改革論が不可欠である。もちろん、それを実行すると国民に相当な痛みを与えることも覚悟せねばならない。しかし、それはやるしかないのではないだろうか。 現在の日本経済は戦後システムの機能不全が主たる原因であるため、そう簡単にはよくならないことは明らかである。加えて米国経済の低迷や発展途上国の追い上げなど世界的な情況もあり、極めて深刻である。したがって、政治がやらねばならないのは、やはり本筋では、経済・財政とともに社会保障を含めた構造改革であり、また当面の下支えとしての緊急対策である。

総裁選に欠落している視点

構造改革の中身については、小泉氏が詳しく述べているのでここでは省くが、自民党の総裁選に欠落している視点について指摘しておきたい。

第一に、日本は技術立国であり、ものづくりの国であることだ。この点における日本の能力は世界的に見ても依然として、大変高い水準にある。今後さらに世界の競争に打ち勝つためにも、科学技術振興に力を入れなければならないし、また多くの中小企業に継承されているものづくりのノウハウを評価し、発展させていく政策が必要だ。IT・バイオといっても、優れた技術力や製品・部品があってはじめて成立するのである。

第二に、21世紀の経済は、モノ・金に対する欲望を過剰にかきたてるようなあり方とは決別すべきであることだ。もちろん一定の経済成長は必要だが、その中身の点においても自然環境や文化などを大切にする経済システムを目指したい。このことは、心の構造改革とも言うべきもので、各候補者の価値観、人間観、幸福論、教育観等が如実に出るのでもっと討論して欲しいテーマである。

第三に、米国の金融帝国主義に対して、日本がいかなる戦略をもって望むかということである。実はこの点に関して、石原慎太郎氏および一橋総合研究所が文芸春秋(2001/5)で、論文を発表している。結果として、米国の金融戦略に組み敷かれている日本経済の情況認識については、同論文に私も同意するものである。 しかしながら、その根底にある発想は、日本経済の再爆発であり、「戦国時代に織田信長が創った楽市楽座の21世紀版」なのだ。かつ石原氏の意識の中には、東京を中心とするメガロポリスが大前提であり、自己中心的、東京中心的発想からは抜け出ていない。さらに、この人の潜在意識の中には、『宣戦布告「NO」と言える日本経済』の著書からも類推できるように、米国の金融帝国主義に対して、日本金融帝国が戦争を仕掛けるような危うさを感じるのだ。 では、どうすれば良いのか。私は、石原都知事とは逆の発想で、首都移転と抜本的な地方分権の実行こそが、必要であると考えている。もはや東京を中心とする思考方法−その典型が中央官僚主導型システムであったのだが−これがすでに創造力が欠乏している。智恵が無いのなら、地方や地域に任せた方がずっとおもしろいものが出てくる。国会や行政機構が東京にある必要はないし、天皇陛下も京都へお帰り頂いたら良いのではないか。これまで議論されてきた構造改革とともに、地方都市への投資機会を高めることが、アメリカの金融帝国主義の侵略を防ぐ重要な布石となる。

総理大臣の器

日本の総理は国の最高指導者なのだから、つねに大局から国家国民の利益を眺めうるような大人物であるべきである。したがって、日本の中でそのような人物を発見し、育てていくのが、各政党の重要な任務である。この人物を誤ると国が過つ。それは国民各界・各層においても同様である。総理大臣の条件については、別のところで述べたいと思う。

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