私の京都21世紀グランドビジョン (理念編)

京都I・Tルネサンス構想

はじめに

2025年をめざす今回のグランドビジョンを考えるに当たってまず大事なことは、京都1200年の歴史を概括することによって京都の都市形成の本質をきちんと認識することであろう。さらに京都の長所と短所というものを浮かび上がらせることで、この町の21世紀に通じる基本方針が見えてくるのではないだろうか。

尚、本稿は本構想の理念(基調テーマ)を論ずるも
のであって、具体的な計画は別途各論にて述べていき
たい。
 

京都の歴史再考

ここでは都市形成の本質という観点から京都1,200年の歴史を俯瞰してみたい。

西暦794年に京都が日本の都として創建されて以来、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土・桃山時代まで京都は事実上日本の政治首都であった。もちろん鎌倉時代のように一時的に京都に対抗し幕府が開かれたこともあるが、その後は次第に京都の政治上の影響力は強まっていった。また、古代から近世初期にかけて、京都は政治のみならず経済、文化などの面においても日本の中心地であったことは間違いない。日本全国や外国の文物が京都に集まってきたのであった。

その後秀吉によって大坂の町が開かれてからは経済都市としては大坂が大きく発展することになる。また江戸幕府が樹立後は政治の中心地は江戸に移ることになった。しかしながらそれでも天皇の所在は一貫して京都であったし、まさに皇都なのであった。日本文化の大半が京都に由来する所以である。

明治維新の回転もやはり京都が皇都であったが故に、この都市を基軸として遂行されたのであった。それ故明治における東京遷都は誠に深刻な京都の危機であったわけである。

「古来遷都には政治的な吸引力が働き、旧都にとどまれば没落するのが運命であった。10年で放棄された長岡京はもとより、飛鳥京、藤原京そして70年続いた平城京もまた同様であった。京都とてもその例外ではありえないのである。しかし京都の歴史はその例外であった」
(「京都史跡見学」村井康彦著)。

「京都再生のうえで貴重な財源となったものは,「東幸」の見返りとして与えられた10万両の下賜金があり、これが産業基立金に当てられた」(同書)。これをもとに明治3年から10年にかけて、勧業場、博覧会、製糸場、ビール造醸所、西陣織物会所など産業奨励策が実施されたのである。

「また京都府第三代の知事、北垣国道による琵琶湖疎水の建設が重要である。これは当初は交通、運輸の利便を目的とし、同時に灌漑用水や飲料に役立てよう
としたものであるが、工事の途中、アメリカで水力発電に成功したことが報ぜられ、水力発電に主眼が置かれるようになったのである。工事は明治18年に着工され、明治23年に完成した。蹴上に水力発電所が設けられ、この電気を利用した路面電車が走っ
たのは明治28年のことで、堀川中立売から岡崎までの路線であった。わが国最初の市街電車である」(同書)。 「さらに東京遷都による衰微を食い止めたのは、明治期における近代化政策であった。明治6年にフランスに織工を派遣し、リヨンからジャガードという当時最も進んだ織機を導入したように、伝統産業の技術革新にも積極的であったのである。」(同書)

もっともこれらの近代化策のなかで、環境破壊という問題があったことも記録されなければならない。

明治期における京都の注目すべき事項は京都帝国大学が建学されたことである。これは国策であったわけであるが、京都帝国大学の存在により京都は全国から優秀な若者を集め、学問・研究のメッカとして発展することになる。

これらの懸命な努力により、戦前までの京都は日本を代表する地位を保ちえたものと推定される。 太平洋戦争では幸運にも戦災を免れたのであるが、戦後は他の地方都市の発展に比べて、京都の経済成長は伸び悩んだ。経済基盤整備や経済
構造の改革に着手が遅れたからである。もちろん全国的な重工業至上主義の流れは京都にとっては不似合いの政策であった。しかし他方で伝統産業の構造改革が遅れたことや、また観光産業の限界について認識が甘かったことも事実である。これらのことが現在の危機的な経済の衰退につながってくるのである。

伝統産業とならんで戦後京都の産業の柱は観光である。しかしこの観光もそれだけでは十分に雇用を吸収し、市民の生活を維持することは困難な時代に入りつつある。

一部のハイテク企業は世界にも通用するエクセレントカンパニーとして名をあげるまでに成長してきているが、しかし京都ではその恩恵を受けているのは一部に過ぎないのである。

このままの出生率でいくと2025年には京都の人口は、約118万人であり、65才以上の高齢者数の割合は26.8%へと激増する。これだけを見てももはや市民のサービスや福祉を充実させるだけの余力はほとんどないといわざるを得ない。

「天明六年(1786年)に出版された『見た京物語』という書物があるが、その中で「花の都は二百年前にて、今は花の田舎たり。田舎にしては花残れリ」という一節がある」。これは江戸時代中期の京都の様子を描いたものであるが、21世紀を目前にした現在の京都もまさに「花の田舎」とでも言うより他ないのである。「しかし田舎にしては花、つまり優雅さが残っている。きれいではあるが、どこやらさびしい。この京都にあるのはただ伝統という名の木に咲く花だけであろうか」(同書)。

私たちは東京遷都以来の大きな危機を痛切に感ぜずにはおれないのである。


京都の都市形成の本質

京都の歴史を振り返ってみると、京都を形成させてきた基盤は、次のようにまとめることができるのではないだろうか。

1.政治権力の中心地

2.天皇の住む都市(皇都)

3.経済基盤形成と技術革新  

仏教をはじめとする諸宗教、茶道・華道、陶芸、貴族文化、武家文化、西陣織物、京友禅など伝統文化と呼ばれるものは、ほとんど政治権力もしくは天皇家に由来するのである。そして明治以降の近代化の中で京都を支えてきたものは、経済基盤形成と技術革新といえるであろう。

21世紀に向かって地方分権がすすむが、これまでの考察からこのことは我が京都にとっては好ましいことである。しかし京都への遷都や天皇の帰京ということは
困難であろうと思われる。

そこで是非とも必要なことは、21世紀の経済基盤形成と技術革新である。前者についてはこれまでも道路網や鉄道などの公共事業を中心とする整備が進められてきたが、近時では財源や環境問題など限界があることも認知されるに至っている。

しかし幸いなことに近年の情報技術の革命的な進展は、環境や文化を守りながら京都を発展させていく契機になると予測される。

伝統文化、伝統産業、観光、学問、芸術、教育、環境などのすべての分野にわたって情報革命が必要とされているのではないだろうか。今全国的にも情報都市構想が提唱され始めているが、京都は日本の中でも発信する情報内容(コンテンツ)については極めて豊富な蓄積がある。要はこれを如何に活かしていくかである。

しかしながら情報革命を遂行するにあたって、その根底に理念がなければならないと考える。この理念こそがもっとも大事なものであり、本グランドビジョンの哲学でなければならない。これを検討する前に、京都の長所と短所について考察してみたい。
 

京都の長所と短所

京都の長所については、「京都市基本構想(第1次案)」の中で「京都の得意わざ」として触れられてあるので、ここでは述べないこととする。むしろ京都の精神的態度における短所を認識する方が意味があるだろう。

まず第一のものは、偏見と差別の強い土地柄でことのあることではないだろうか。この点については多くの方が同意して頂けるものと思う。ではなぜこのようになってしまったのか。この問題本質はなかなか難しいのであるが、差別は歴史的には権力者側の統治手段として生み出された制度であることに、根本的な原因があると私は考えている。

第二の短所は京都がいつのまにか閉鎖的な社会になっているのではないかということである。その社会になじんだ人には住み心地の良い土地であるが、よそ者に
は冷たい社会である。排他性が強いとも言えよう。積極的に多くの人を受け入れていこうという気風に欠けるように思われる。都会でありながら村社会の体質を引きずっている。大学生も全国からたくさん来るがほとんど京都には残らない。観光客のように通りすぎていくだけである。偏見や差別が残っているということや、また噂が広まるのが速いことも閉鎖社会の特徴である。

第三に、京都は反権力の意識が強く、それだけに権利意識の高い土地柄であるが、他方で他人や公共のために奉仕していく心が足りないのではないだろうか。権
利意識は大事なことであるが、それも過ぎると権利の乱用につながる。ごね得となる。権利の裏腹に義務がある。批判精神は旺盛であるが、自らを犠牲にしてでも皆のために尽くすというところが少ないのではないだろうか。ここではいちいち事実を指摘しないけれども、思い当たることは多くの人がお持ちであろう。

第四の短所は表と裏のある町であることである「考えときます」ということはお断りの意味なのである。物事をはっきり言うと角が立つので曖昧な表現を使う。それを他府県の人は前向きと理解して待っているが、いつまで経っても返事がない。しびれをきらして問い合わせると、それは最初から結論が出ていたことなのであった。この話は余りにも有名である。これでは京都の人は何を考えているかわからない。

また権力者には一応従った振りをしているが、実は本心は全然違ったものの考えをしているということもよくあることだ。これも千二百年の都市の智恵なのであろうか。

第五に世間の目を気にしすぎるということである。歴史的な経緯もあり、自分だけが変わったことをすることを戒め、権力者、有力者の動向を見てから判断するという傾向があるように思える。

だから独立自尊の筋のとおったことをする人間を仲間はずれにし、なかなか認めようとはしないのである。

他にもいろいろあるが、ここではこの辺りで止めておきたい。
 

京都I・Tルネサンス構想

これまでの検討の中から、これからの京都のめざすべき理念を明らかにしていかなければならない。

良きにつけ悪しきにつけ、京都は長い間の政治首都もしくは皇都としての権力機構のもつ影響力を引きずってきたのである。

要はそういう影響力を保存していこうとするのか、それともその影響力とは決別して改革の道をゆくのか、の選択であった。明治遷都の時には「京都策」と呼ばれる近代化政策にウェイトを置いたと推定される。これが伝統と革新のまれにみる緊張関係ということなのであって、その革新という言葉の意味はイデオロギー的色彩の濃い政治的革新という意味ではない。そこでここでは革新の代わりに改革という言葉を使用する。

たまたま太平洋戦争においては、京都が戦災から免れたことも手伝い、戦後はどちらかというと伝統の維持に重点が置かれたのである。

それは単に文化遺産や景観を守るにとどまらず、かつての権力機構にまつわる精神的態度をも温存してきたということである。

そしてその精神的態度とは、実は京都市民の長所であり、短所なのである。一見それらは権力機構とは何の関係もないように見えるものもあるが、しかしよく考察
してみると、それらは権力機構を対象として、それに対する陰と陽の思考が源となって発生してきたもののように思われる。その一表現が、「権力か反権力か」である。

明治以来一世紀以上を経た現在でも、実は私達市民のこのような発想の原点はあまり変化していないのではないだろうか。

私は21世紀はこういう発想方法を根底から覆し、すべての思考の原点を「人間的であるかどうか」に置いた方が良いと考えている。

「人間を大事にする都市」京都でありたいと願っている。人間を大事にするということは、自然環境や有形・無形の文化財、景観、伝統の技あるいは美的感覚やくらしの智恵などを大事にすることである。

このような観点から京都の将来像を表現するキーワードは何か。一応「世界文化自由都市」という理念があるけれども、これを新世紀にふさわしいものとして具体化する構想が必要であろう。

そこで私は構想の題名を「京都I・Tルネサンス構想」と名づけてはどうかと提唱する。「ルネサンス」とは14世紀から16世紀にかけてイタリアを中心に起った文芸復興運動であるが、それは同時に世界と人間の再発見、抑圧された自由な精神の復興を目的とした、人間性の尊重を求めるヒューマニズムの主張でもあったのである。その意味で「人間が人間らしく生きられる都市」作りを目指そうという理念には「ルネサンス」の呼び名がふさわしい。

京都市基本構想(第1次案)の第2章「市民のくらしとまちづくり」に述べられている「市民がくらすまちの姿」や「安らぎのあるくらし」の内容などはまさに「人間が人間らしく生きられる」まちづくりの構想と言えるのではないだろうか。単に「人権の尊重」というにとどまらず、広くあらゆる分野にわたって「人を大切にする」という心遣いが溢れた都市にしたいと思う。

また「大量生産・大量消費・大量廃棄型の都市文明のあり方」からパラダイム・シフトして、「生活や産業による環境への負担をできるかぎり抑え、廃棄物の削減と
環境の保全」(京都市基本構想(第1次案))に取り組むという思想はまさに平成のルネサンスと言いうるのでないか。

そこで本構想の基調テーマを「人間が人間らしく生きられる都市」として、その中身を大まかに「市民の意識」「文化」「環境」「産業」「健康・医療・福祉」「学問・教育」ならびに「市民
参加」の分野に分け、より具体化していってはどうか。そして各論を構築していく手段として「情報技術」(I・T)を位置づける。

この「情報技術」については、単に米国流のI・Tということではなくて、あくまでも「人間を大切に」が基本である。

実は16世紀の宗教改革は当時の情報革命の申し子であったことが指摘されるのである。すなわち「宗教改革にとって印刷術の発達が大いに力となった」(「情報革命の構図」篠崎彰彦著)。同書は極めて重要な事実を述べているので少し引用する。

「活版印刷術の発明は、出版物の増加、読み書き能力を有する民衆の増加をもたらした。印刷術の発明がなければ聖書を大量に普及させることはできなかったであろうし、ルターの主張が支持されるような共通意識も生まれなかったに違いない。多くのキリスト教徒が聖書を直接読み、教会に独占されていた聖書の情報を直接得ることで、教会の権威性が失われ、また身近な現実の教会の堕落がこうした意識の高まりを加速させた。宗教改革は、16,7世紀における情報革命の申し子であったし、宗教改革全体を、印刷物という新たなメディアを利用した精神世界における主導権争いとみることもできるのである」(同書)。

同様に現代の情報技術革命は、相当な「社会的権威構造のシフト」(同書)をもたらす可能性がある。また「放送の多チャンネル化でも明らかなとおり、これからの社会では情報のコンテンツの優劣が圧倒的に重要で、媒体を有する者の権威性は大きく低下する。つまり、情報流通が圧倒的に高まる社会では、情報の重要性は量よりも質に求められることになる」(同書)。

このような意味でI・T革命によって、京都が21世紀に大きく復興し再生するチャンスが広がっていると言えるのである。「京都I・Tルネサンス構想」と命名する所以である。

さて、各論の中で「市民の意識」について付言致したい。すなわち、この項ではこれまで述べてきた京都の長所と短所を指摘しながら、第一次案では触れられていない以下の点について言及すべきであろう。

すなわち、まず第一に京都が心がけなければならないことは、「開かれた社会」(Open Society)をめざすことではないだろうか。そして大きな気持ちで他府県の人々を受け入れ、働いてもらえるように、住んでもらえるように改革していかなければな
らない。また一度京都から出ていった人々に帰ってきてもらえるような環境整備が必要である。さらに世界の企業や人々が集まるような仕掛けが必要である。

第二に、「情報技術」(I・T)を積極的に利用しようという意識の重要性である。伝統産業、文化、観光、教育、福祉、医療、環境などの各分野を「I・T」によって再構築していくことが必要である。 さらに、「情報技術」を一般市民になじみのあるものとしていくこと(リテラシー)が求められている。これにより市民間の情報格差を埋めていくことが必要ではないか。

近世に至るまでは、権力もしくは天皇家のあるところに情報が集まり、情報を有するものが優位性を保ってきた。現代社会は権力機構がなくても、情報技術革命によってこれまで経済的に下位にあったものが上位になるということが起こりうる時代となったのである。

京都にとってはチャンス到来である。

そしてその際には「全国で初めて」ということも大事であるが、これだけは絶対にどこにも負けないというものを創らねばならないと思う。

第三に大事なことは、「奉仕の心」をもったまちづくりであろう。自分さえよければ良いという利己的な社会ではなくて、基本的人権を尊重すると同時に、たとえ少しずつでも人々に尽くしていこうという「ボランティア社会」を構築していきたいと思う。

最後に、私は市民の「独立自尊の精神」こそが、京都を改革するために最も必要なことであると考えている。われわれは何時の間にか、お上頼みになってはいないか。すべてを行政の責任にしてはいないか。お上の規制や保護、支援をあてにしていないだろうか。これからは市民一人一人の頭で考え、あるいは智恵を結集し、行動することで難局を克服していかねばならないのである。そのような個性と創造性が大切な時代になっている。

また「独立自尊の精神」があれば、行政改革ももっと進展するのではないだろうか。そして21世紀の京都を人間的な魅力に溢れた都市にするのも「独立自尊の精神」であると確信するものである。


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