私の京都21世紀グランドビジョン(産業編)

「世界の頭脳都市(シンクタンク)をめざして」

周知のとおり京都の衰退が著しい。企業も役所もそれなりに頑張っているのだが、私の観るところ小さな改革には着手しているけれども、どうも大きな観点からのビジョンが提示できていないと思われる。

今政治に求められていることは21世紀の京都をどういう街にしたいかの明快なビジョンではないだろうか。少なくとも2025年を目標として大きな構想を描く必要がある。そしてそのビジョンのもとで具体的な政策を提示することである。それは国会議員のやる仕事ではない。国会議員はこの国の大ビジョンを提示することが本業である。小さな小選挙区の小さな世話ばかりするのが国会議員の仕事ではない。だから市会議員こそこの都市の将来構想を提案しなければならないのだ。なにも市会議員は市民相談だけが仕事ではないのである(もちろん市民相談は大事な仕事であり、政策立案のヒントである)。

本論は私なりのビジョンである。今市役所が中心になってそれを考えているが、我々政治家の意見を積極的に聞こうとというシステムにはなっていない。市会議員ごときにはそんな難しいことは立案できないだろうという偏見に溢れているかのようだ。だからこそ、これからの政治家は自らの頭で、足で、手で素晴らしいビジョンを提案しなければならない。それが政治への信頼を取り戻す唯一の方法であると確信する。

結論から申し上げよう。私は京都こそ世界の頭脳都市にしたいと思っている。知的活力に溢れた街である。世界のシンクタンクである。自動車や排ガスやゴミ、煤煙に溢れた旧き産業都市ではない。言論、研究・開発、ファッション、文化など世界をリードする企画を提示しゆく都市である。単に日本の伝統文化の上にあぐらをかいているにすぎない文化首都ではつまらない。文化もまた技術革新がなければ成り立たないのだ。

また京都は日本を相手にしているだけでは駄目である。京都は世界を相手にすべきなのである。これまでのような国際観光都市レベルの国際ではない。世界のトップレベルの頭脳都市をめざすのである。もはや東京の時代ではない。京都こそ頭脳都市にふさわしい環境がある。情報の技術革新とネットワークがあればそれは可能である。

以下にその具体策を述べてみたい。ここでは詳しい説明は避け、簡単にその骨子を要約してみた。今後さらに詳細を検討し付加してゆきたい。

「研究・開発都市構想」

世界中の一流の大学院・シンクタンク、また産学共同研究の実験室を誘致・設立することをめざす。世界の一流の学者、研究・教育機関を京都にもってくるのである。

ご存知のとおり京都はノーベル賞学者を何人も輩出している京都大学をはじめ日本では有数の大学立地県である。この知的遺産を生かすためには、さらなる知性の集積がどうしても必要となる。すでに基礎研究を主体とした関西文化学術研究都市が立ち上がっているが、産学の応用研究・企業化などを狙いとした新たな体制づくりが求められている。5月31日付のbusinessweekは、京都をスタンフォード大学を
有する米国のシリコンバレーと比較しながら、多くのハイテクベンチャー企業が育ちつつあるこの都市の潜在力を評価しているのである。

シンガポールではIT(情報技術)産業育成を強化している。それは21世紀に向けて知識集約型・技術集約型経済に移行するための産業基盤育成を図りたいという
政府の狙いからである。具体的にはアジアにおける電子商取引の開発・決済機能の中心地をめざした計画が進められており、またシリコンバレーをモデルに政府主導でアジア版シリコンバレーを開発する計画が進められているのである。

私は日本の中では京都こそ、研究開発都市にもっとも相応しいと考えているし、シンガポールにも負けない力があると信じている。

「世界に誇るビジネススクールの設立」

アメリカにはハーバードビジネススクールやスタンフォードビジネススクールなど優秀なビジネススクールがいくつもある。これらが米国産業の基盤となり、人材供給をしてきたことは良く知られている。日本の場合大学卒業後世界のビジネスで通用する人材を育てるには、これらの大学院へ留学させているような状況である。バブル崩壊後の日本の不振は目を覆うばかりであるが、これらの根本的な原因はやはり世界的な視点でものを考える人材育成を怠ってきたからではないだろうか。同時に、英語の力そのものが従来以上に重要になってきている。その意味で、政治・経済、金融、情報工学、生命科学、環境技術のみならず、日本の伝統産業や伝統文化まで、
すべて英語のみで授業を行うビジネススクールを設立しようではないか。今ほど社会人の再教育が求められる時代はないように思われる。これが京都の魅力を高めることは間違いないだろう。

「ベンチャー・SOHO都市」

京都のベンチャー企業のユニークさは知られているが、これからはベンチャーでなくともSOHOが元気に活発にうごめいているような町作りが必要である。SOHOの中から成功するベンチャーが生れてくるのである。彼らが活躍できるような環境づりをする必要がある。その条件とは、
インターネットを常時低廉な価格で使用できること、ISDNなど高速大容量な情報ネットワーク基盤の整備、単独では利用が不可能な高性能なデジタル入出力機器などの共同利用環境や業務支援機能、デザインや技術などを蓄積し、利用を円滑化するデジタル・アーカイブなどの機能、新製品をプロデュースし、デザイナーや制作者・大学などとコーディネイトする機能、さらには安価な家賃などである。

「コンテンツ産業都市」

これからは単なるソフトの時代ではない。通信インフラの整備とともにコンテンツ産業を充実させなければならない。この点において日本は米国に完全に遅れをとっている。しかし、京都は日本の中では唯一コンテンツが充実している都市なのである。

それが伝統産業や伝統文化なのである。その蓄積されたデザインや意匠などは世界に類をみないのではないだろうか。これらをデジタル化し、様々な分野に利用・応用していく方法を構築しなければならない。そしてその手始めがネットワークなのである。そのためにも京都こそ最先端のコンピューターソフトと通信技術を配備しなければならない。

「デジタル・センター構想」

京都では国際会議や学会が開催され、そのための資料作成が行われている。しかし最近では京都での国際会議は減少傾向にある。なぜか。それは国際会議場が少ないということもあるし、交通アクセスの問題もある。しかし一番大事なことは、
国際会議を支えるスタッフや出力センターの体制不備が決定的ではないだろうか。

他方で京都には友禅や織物などのデザインの蓄積があるが、これらも現状では十分に生かされているとは言い難い。

そこで西陣にデジタル・センターを設置して、各国語対応の機器や高速のカラープリンターなどを導入し、国際会議に対応すると同時に世界各国の若手の技術者や芸術家が集うデジタル・センターを構築してはどうか。
このデジタル・センターを中核施設として、各企業やSOHOなどをネットワークで結び、京友禅や西陣織などのデザインを世界にPRし、また世界から仕事を得ることができるようにしたいと考えている。最新の通信技術では、デザインなどでもISDN回線を使って、プロバイダー経由なしに相手先へ瞬時に送信することができるようになってきている。このような技術革新によって伝統産業も息を吹き返すことができるのではないだろうか。

「データ・ベースの構築」

現在の伝統産業のインターネット上のデータ・ベース公開はまだまだ少ない。伝統産業の活性化はもはんインターネットなどコンピュータ−技術による革新しかありえ ないと思われる。これからますますインターネットを使っての情報の収集が盛んに行われるようになるだろう。その場合に各伝統産業の企業がホームページ上に、会社概要から自分のところで取り扱う技術の大要程度でも掲載していれば、全国あるいは世界の国から受注がくることは十分有り得るのである。その意味でインターネット上に日本語と英語の双方で、自社のデータ・ベースを情報公開していくことが大切になってくるだろう。そういう誘導政策をとる必要がある。

「伝統産業の国際学校構想」

21世紀の職人は、図案が描け、制作技術があり、かつコンピューター技術にも習熟している必要がある。また時代を感じ取るマーケティング感覚も要求されるのではないか。このような能力をトータルに学ぶことができる国際学校の設立を提唱 たい。ここには外国人も自由に学ぶことができるようにする。そうすれば世界から意欲のある若者たちが集まってくるだろう。

「情報インフラの整備」

これらの計画を実行に移すにはやまりまず市内域の情報通信基盤の整備を進めなければならない。21世紀は道路網よりも情報インフラこそ最も重要な公共投資といえる。まず高速大容量の回線の整備であり、同時に中核施設の誘致などである。その施設としては既述のようなものが考えられるのでる。

「ベンチャー・SOHOの資本調達市場の創設」

アメリカのナスダックやピンクシートのような、中小企業向けの資本調達市場の創設が必要である。しかもそれは地方独自の権限で認可できるようにする。もはや銀行融資の時代ではない。

しかしこれを可能にするためには、抜本的な法改正を行う必要がある。いずれにしても、これからの産業政策は中央の通産省主導で行うのではなく、地方が自分の頭で考え、つくりあげていかなくてはならない。おもしろいことに、先businessweek 誌は、京都が1970年代の通産省の誤った政策に引きずられなかったことが、京都の先端企業を育てることになったと指摘しているのである。

現在でも通産省が金と権限を握って実質的に新産業政策を誘導しているが、これからはそういうものを地方に与えるようにしなければ真の意味で独創的な産業は勃興しないのである。通産省がいつも正しいとは限らないし、地方独自のユニークなアイデアを促進することが21世紀の指針であると私は信じている。

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