私の政治哲学(第6回)

私がめざす政治は「哲学的な政治」である。

しかし、現代の多くの識者は「政治は技術に過ぎない」と言う。かつて高名な文芸評論家の小林秀雄なども、「政治は人間の物質的生活の整調だけを専らの目的とすればよい」1 という主旨を述べている。なるほど戦後の日本の政治は、その指摘どおり経済至上主義を貫いていったのである。

他方で「哲学的」などと言うと、マルクス・レーニン主義(共産主義)に代表されるような教条主義的な印象を与えるかもしれないが、哲学とは、ショーペンハウエルが指摘しているように「心にかかるいかなる問いをも率直に問い出す勇気をもつということである」2 。21世紀の今日においても、頑なに共産主義という先入観によって社会や歴史を把握しようという政治手法は、真理の発見の妨げとなるであろう。


哲学とは思想である。思想とは価値の体系である。これらの価値の体系を比較検討しながら、時代に即した新たな価値体系を創造していく必要がある。何故なら如何に優れた思想といえども、過去の思想はそのままでは時代の進化に適応することは困難であるからだ。

ヴォーヴナルグは「偉大なる思想は心情から来る」 3 と言う。時代に対する鋭い直感と心情から偉大な思想が生まれてくるのである。私はこの「心情」という言葉を仏教思想の「慈悲」と置き換えている。「慈悲」は現代において仏教思想を、「生命の尊厳・共生の思想」として蘇生させた。従って私のめざす「哲学的な政治」とは、「世界中のあらゆる価値体系の検証を行うとともに、『慈悲』から創造された『生命の尊厳・共生の思想』に基づく政治」と言うことができよう。

このように政治は単なる平和技術・経済的分配技術を超えるものであり、また教条主義でもない。政治は偉大なる思想の発露であり、アリストテレスが指摘しているように、すべての人間活動の中でもいわば「最も棟梁的な位置にある」 4 。従って政治は、人間集団が平和のうちに幸福に生き残るために、あらゆる学問や智恵、技術を総動員するとともに、優れた指導力を発揮しなければならない。政治は決して部分の利益に陥ることなく、大局的な判断と決断が必要とされる。また地球環境をはじめ様々な変化に適応するために、政治は融通無碍に自己改革(進化)を断行しなければならない。硬直的なイデオロギーに固執することは人類の絶滅につながりかねないだろう。


(続く)

1 「人間の進歩について」対談 小林秀雄・湯川秀樹
2 「知性について」 ショウペンハウエル
3 「反省と箴言」 ヴォーヴナルグ
4 「ニコマコス倫理学」 アリストテレス


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