政治の焦点

第1話〜21世紀国家百年の計

はじめに

このコーナーは、今回から新しく設けました。この欄ではマスコミ報道のように表層的なものの見方や、あるいは最近の無党派層現象などに右往左往することなく、政治の本質的な、根っこの部分の問題について、私なりの見解を述べていきたいと考えています。初回は新世紀を迎えたばかりですので、「21世紀国家百年の計」について語ります。皆さんがその時々に知りたいと思われることについて、タイムリーに発信できるようにこれからがんばって参ります。

自公保政権の課題

〜人心の一新と大胆な構造改革プランを提示すべし


21世紀最初の国政選挙が、本年7月に行われる参議院選挙です。マスコミは自公保政権が過半数を獲得できるか、注目しています。この十年間景気が低迷し、倒産・リストラや失業の増大、また中高年の自殺者が増えるなど、社会全体に閉塞感が充満しています。加えて株価が下がり、政界にはKSD問題の発覚等、与党には危機感が募っています。

私は次のように考えています。すなわち、まず最大与党の自民党が党の抜本改革を行い、思い切って世代交代を行い、権限を委譲することです。政府としては首相が交代するのが一番です。そして大胆な発想のできる若くて柔軟な叡智を結集しなければなりません。自民党だけではなく、公明党、保守党も含めた三党のほか、民間からも智恵者を集めなければなりません。今回の省庁再編で以前よりは良くなっておりますが、まだまだ思い切った改革が必要です。国民から見て、何かやりそうだと思われる陣容と戦略を早急に提示しなければなりません。

公明党の役割は、利権構造の中でなかなか改革の動きのとれない自民党に対して、国民全体の立場に立って言うべきことをいい、政府全体の構造改革を進めていくことです。公明党に対しては自民党と手を切れというご意見もあるのですが、しかし細川内閣の失敗に鑑みれば、民主党と組んで同じ轍を踏むことはできません。またいたずらに政治を流動化することは、現下の経済情勢から見ても避けるべきです。

他方、民主党はどうか。残念ながらこの政党は統治能力に欠けています。政権構想も無く、党内の理念も政策もバラバラで、どのような国づくりをめざすのか不透明です。一見民主的に見えますが、議論を尽くして様々な意見を集約していくことや、決断した上はどんな批判があろうとも実行していく強さが不足しています。統治能力の点では、まだ自民党の方がマシと言わざるをえません。

自由党は理念や政策ははっきりしていますが、原則論や筋論にこだわりすぎるため、手法としては荒っぽく、国民の眼にも我儘に写り、現実的な解決策が得られないことがあります。

なお、共産主義が台頭することは、世界経済から見て大変な信用失墜となることは間違いなく、危険です。

恐れるべきは国民の不満が溜まりすぎると、それを利用して極端なことを言い出すリーダーが無党派層などの支持を得て、国家権力を握ってしまうことです。かつてのヒットラーなどが好例です。これだけは避けなければなりません。私は、ここは与党が決断し首相以下内閣の人心を一新して、清新かつ斬新そして大胆な構造改革を国民に提示しなければならないと考えるものです。


21世紀国家百年の計

〜国際平和と科学技術・教育


さて、ここでは新世紀初頭にあたっての国家百年の計について論じてみたいと思います。国家百年の計というと、マスコミや多くの評論家たちによって、例えば規制緩和、金融改革、IT革命、ベンチャー育成などの経済構造改革や、あるいは財政改革、行政改革、中央集権体制から地方分権への変革、また年金・医療・福祉などの社会保障改革などが取り上げられてきました。私も別の場所ではこれらについてしばしば語ってきております。しかしここでは、もっと根源的な長期的課題、同時に政治家にとっては最も票になりにくいといわれてきた問題について言及致します。

1.国際平和の構築

これまでの人類の歴史を大局的に考えた場合、戦争というものをできうる限り避けることが計略の第一です。戦争という手段によらず、国際秩序を如何にして構築していくか。政治の最重要課題です。政治家は日本のことだけ考えていては駄目であり、視野を大きくもち、外国の指導者と渡り合える力量を培わなければなりません。それには日本のみならず、国際情勢や世界の歴史についての勉強が必要ですが、特に世界の宗教について学ばなければなりません 。

21世紀の日本にとっては、何と言っても東アジアの平和と安定が大切です。中国の台頭、台湾問題、北朝鮮の行方などが波乱要因で、それとの関係で日米安保体制をどうするか、憲法と集団的自衛権などが問われるでしょう。

私は、戦後日本人は、あの悲惨な第二次世界大戦、太平洋戦争の反省の上に、大変賢い選択をしてきたと思います。今後アメリカの方針次第によって、さらに国内でも憲法改正や集団的自衛権の行使に踏み込む動きが強くなってくるでしょうが、しかし、私は、現憲法や集団的自衛権の行使不可という解釈は、いわば日本の財産であり、これを軽軽に変更しては国益を損なうものと考えます。

これに対しては、金を出すだけでは世界では評価されないという批判がありますが、しかし日本でもこれまで多くの非難を浴びながらもPKOやPKFと言う形で、世界の中の日本がどう生きるかという問題に答えを出してきたことは ご承知のとおりです。

要は外交戦略の問題です。かつてアメリカのセオドア・ルーズベルトを使いこなした、大英帝国のチャーチルのように、日本の政治指導者の深謀遠慮が求められます。

21世紀の日本の平和戦略は基本的には軍事力以外で、世界の各国の急所を抑えることです。経済戦略もあれば、科学技術力、場合により食糧戦略もありえます。日本を侵攻することが絶対に損であるような関係を作らねばなりません。

もっともこれだけで平和が維持できるものではなく、国連という枠組みのほか、多国間や二国間の安全保障体制が検討されなければなりません。ただしその場合繰り返しになりますが、日本国憲法の理想や解釈については各国に理解してもらわねばなりません。そして筋のとおる行動をとるべきです。

また文明間の対話も重要です。特にイスラム文明、ヒンドゥー文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明、東方正教会文明との関係構築が不可欠と考えます。


2.科学技術と教育こそ

さて、かつて明治維新を成し遂げた先人たちが、西洋列強の植民地政策を跳ね除け、アジアで唯一の独立国として、近代日本を発展させていくために考え抜いた国策が「富国強兵」でありました。これは当時の国際情勢としては、ギリギリのやむをえない選択であったと思います。

それから百年後、数千年の歴史の中で初めて国家の破滅に陥りながらも、世界第二位の経済大国に成長した日本が、これからいかなる方針で進むべきか。国際的には「平和」であることは間違いありません。また国内的には戦後の経済至上主義に反省を加える立場から、自然や環境、あるいは文化・芸術、心や愛などを重視し、経済力などは程ほどでよいではないかという主張もあります。

ただこの点で難しい問題は、戦後の大きくなりすぎた日本経済に対して、欧米の日本牽制戦略がとられてきたことです。それは85年のプラザ合意に始まり、金融資本市場におけるBIS規制、ビッグバンに象徴されており、これが90年代以降の「失われた十年」につながっていることは明らかです。戦前の欧米列強は中国に進出した日本をABCD包囲網などで追い込みましたが、戦後日本が経済力でアメリカを圧倒するようになると、再び新しい智恵をもって日本を封じ込めてきたとも言えるのです。

私はここでいたずらにアメリカを敵視しているのではありません。日本人の善良な国民性は大事であるけれども、世界は依然として激しい競争が現実です。従って単にそれに負けないというに止まらず、世界をリードする国家としての競争力が必要です。これがひいては日本の安全保障にもつながるわけです。

このような理由から、21世紀の日本が世界の先進国であり続けるためには、何と言っても長期展望として世界最高の科学技術力、トップレベルの教育力を構築していかなければなりません。特に生命科学、情報通信、ナノテクノロジー(超微細技術)などを重点的に進めなければなりません。また大学教員の任期制、研究評価制度、競争的な研究資金制度の導入、研究・教育・管理運営の分離など、抜本的な大学改革も必要です。

しかし、ここで見逃してはならないことは、これらはすべて人間を幸福にするための、科学技術であり、教育であることです。これまでは戦争など国家目的遂行のための、あるいは利潤追求第一の科学技術であり、教育でありました。しかし21世紀はパラダイムを転換し、平和と人間を幸福にするための科学技術、教育にしていかなければなりません。その意味で、科学技術と教育は国家から中立であるべきです。時の政治体制によって左右されるものであってはなりません。

また科学技術、教育を考えるとき大事なポイントは、創造性のある人材を育てる基盤づくりです。現在の日本は、明治以来築かれてきた様々な分野での既得権益構造を解体し、国民のための抜本改革を成し遂げなければなりません。そのためには、吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬のような人材を陸続と輩出しなければならないのです。今の日本は独創性のある人材をいじめ、潰す社会に陥っています。これを変えて彼らを活かす社会風土を創らなければ、日本が近い将来世界の三等国、四等国に落ちてしまうことは明らかです。その土壌としての、初等・中等教育から個性重視の教育環境を作り出す必要があります。

もうひとつ検討しておかねばならない課題は、人間教育です。独創性があっても思いやりがない、権利ばかり主張する自己中心的な人間、すぐにキレル、暴力をふるいたがる、そんな人間ばかりになっては困ります。人間が真に個性的である場は、実は人と人との秩序関係(人倫)の中にしかありえないのです。個性といっても、エゴイズムをどこかで制御する必要があり、それが人間が成熟することにほかならないのです。人間の欲望をより高次元の価値創造へと転化していく人間教育の実践が不可欠と言えます。

これに関連して、最近の青少年をめぐる問題が深刻化する中で、社会に規律を取り戻そうと、奉仕活動の義務化などが提唱されています。しかし私はボランティアというのは自発であり、義務化とは矛盾しているが故に反対です。義務化すればそれはもはやボランティアではなくなるからです。ただし現場の判断で授業、あるいは単位のひとつとして、ボランティア採用しても構わないというのであれば意味があると考えています。

また、子どもたちの荒れ果てたこころを耕し、豊かな人間性を育てるには、精神性や芸術性溢れる古典や名作などの良書を、読書していく教育などが有効であると思います。同時に性風俗や暴力を助長するビデオや出版物を規制していくことや、また社会全体に、いじめや暴力を絶対に許さないという気風を確立することが大事です。

このように「21世紀国家百年の計」を考えるとき、日本という国の安全と国民の幸福を実現するためには、やはり、「科学技術」と「教育」に最も力を注いでいかなければならないことは明らかです。まだまだ意は尽くせませんが、本稿ではこの程度にしておきます。なお、ぜひ別掲の「私の教育論」もご参照ください。

第1話終わり

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