様々な調査をみると国民の関心は、年金などの社会保障の充実にあるようだが、国民が今後負担を受け入れてもこれを達成してもらいたいと、本当に願っているだろうか。私はどうも違うと思う。戦後の日本人は、米国の自由主義を信奉し、他人やお上の干渉をできるだけ排除する思考方法と生活スタイルを築きあげてきた。当然このような「自助の精神」は年金や医療保険制度の「共助(助け合い)の精神」とは相容れない。最低限の負担で済ませたいというのが本音だ。また、5千万件もの年金未照合問題等、行政に対する信頼感が著しく低下しているため、負担増ではなく行財政の無駄を省くべきだというのが大勢である。 こう考えると、日本は将来とも「大きな政府」へ転換することは極めて困難ではないか。他方で、基礎年金の国庫負担の2分の1への引き上げのために、必要な2兆3千億円の財源目途は未だにたっていない。しかしこれについては次回に詳しく述べるが、特別会計の剰余金(いわゆる埋蔵金)や特殊法人、独立行政法人の民営化・埋蔵金の拠出などで当面十分まかなえる。これらの財源は約50兆円にのぼるという試算もある。その他にも、「長寿医療制度の負担軽減」「障害者自立支援法の見直し」などの財源も必要だが、これらは「道路特定財源の一般財源化」により十分手当ては可能だ(公明党は2千億円分を社会保障で確保することを提案)。 このような理由から近い将来については、消費税の引き上げの必要はないと考える。しかし、長期的には年金制度・医療・介護・福祉などの将来需要によっては、国民負担の水準の再検討を迫られる可能性はある。その場合でも経済成長・政府資産の徹底的洗い直し・歳出削減など、その前提としてまずやるべきことが膨大にある。それを必ず実行させることが公明党の使命である。 つづく |