この問題は、ある意味で霞ヶ関の公務員全体を敵に回す改革だ。従って与野党が英知を結集して団結し、政治主導の本来の民主政治を取り戻さねばならない。確かに自民党の中にも官僚出身政治家などの抵抗勢力はある。しかし、福田総理が民主党案を丸呑みしても良いと決断したのに、なぜ民主党は筋を通さないのか。 自民党内の抵抗勢力が民主党の反対を利用して廃案にする思惑を知って、不成立の責任を負わされることを回避したとの報道もある。しかし、民主党のこれまでの執拗さとは落差があり過ぎる。私の推論だが、「同法案は結局国民から見てあまりよくわからない内容であり、パフォーマンスや虚勢を張っても益が少ない」と民主党は判断したのではないか。そうだとすれば著しく国民を愚弄するものだ。 さて、アダム・スミスはその著書「国富論」の中で、「公務員や軍人は、生産に直接携わる労働者でなく、税によって雇用されている不生産的労働者である。政府の支出が小さく税が安くなれば、社会全体の資本蓄積が進展し、政府の不生産的労働を民間部門の生産的労働として用いることができる」(主旨)ことが述べられている。この指摘は現代でも通ずる。 公務員制度改革の目的は、最終的には「官僚の数を削減する。官僚の権限を縮小する。官僚の給与を減らす。天下り制度を改革する。」ことにある。これにより政府支出を減らし減税が可能になれば、社会全体の資本蓄積が進み、雇用の増大をもたらすことになる。次期衆議院選挙では、この改革理念とともに、道州制の導入と中央集権体制の解体など具体策を強く訴えていきたい。 つづく |