私の政治哲学(第9回)〜小泉政治の功罪と公明党の役割

最近の大きな事件として話題になったのは「ライブドア証券取引法違反事件」だ。その少し前には、「耐震強度偽装事件」が発覚し大騒動になっていた。さらにその前には、広島や茨城における「少女誘拐殺人事件」があった。詳細は報道に譲るが、私はこれら事件に共通する本質があると思う。

それは自己中心的な欲望のために、人間や社会にとって一番大切なものを切り捨てているということではないだろうか。例えばライブドア事件では、金儲けということを最大の目的として、それを実現するために法律や道徳・倫理を踏みにじったとされる。それを破ることは個人にとっても会社にとっても最も大切な「信用」というものを失うことになる。「耐震強度偽装事件」では、やはり「利益至上主義」のために安全や安心が犠牲にされている。全国で多発する「少女誘拐殺人事件」では、自らの欲情のために少女の生命を簡単に弄び殺しているのである。

欲望に振り回される人間社会。その原因がすべて政治の責任である訳ではない。しかし、こういう世の中にあって、確かな宗教基盤に支えられて正しい人間社会を築き上げていこうという公明党の使命は重大なものがあると思う。欲望の達成が目的ではなくて、「欲望(煩悩)をコントロールし正しく用いることによって価値を創造し、人間の幸福と平和を実現していくこと」、これが公明党の思想である。

さて、小泉政治の功績は何であろうか。ひとつは道路公団民営化など既得権益に固執してきた自民党・官僚システムに風穴を開け、財政のムダ使いに一定の歯止めを掛けたことであろう。また公明党と連立を組み、児童手当や出産育児一時金の増額など少子化対策に力点を置き、社会構造改革に着手したことである。
 

他方、罪悪の方はどうなるか。ひとつは靖国神社参拝にこだわり日中・日韓関係を悪化させたこと。これは前回述べたとおりである。さらに重大な問題は、昨年の郵政解散の手法が日本の政治を「扇動(デマゴギー)政治」へと堕落させたことであると私は考える。

郵政民営化に反対する議員達を抵抗勢力と決めつけ、それに対して前代未聞の刺客を立て、どちらが善玉か悪玉か、白か黒か、競馬の馬券を買うように国政の重要課題が国民投票に付されたのであった。これが小泉劇場といわれる所以である。しかし、多くの国民はどちらが正しいかなど正確には理解していなかった。マスコミに踊らされて、ほとんど現状の生活に対する不満解消のために投票所に足を運んだに違いない。その結果、この選挙は「扇動(デマゴギー)政治」という実に危険な風潮を生み出してしまったのである。これが進むと戦前の失敗を繰り返す恐れがある。

戦前の大日本帝国は天皇を君主とする立憲君主制であった。昭和に入ると軍部が天皇の統帥権を盾に事実上統治権を掌握し、太平洋戦争へと暴走した。しかし暴走したのは軍部だけではない。当時の近衛内閣は、国家総動員法を作って議会の承認なしに物資の統制や国民の徴発を行い、また大政翼賛会が結成され議会は無政党となり無力化された。加えて、神国教育の推進やメディア統制等を通じた世論操作により、国民を戦争へと駆り立てていったのである。軍部・内閣が直接国民に訴えかけ、国論を戦争へと誘導したのであった。

このような戦前の大日本帝国の失敗の反省から現在の憲法は作られている。戦後の日本国憲法は、原則として地域の信頼できる代表者を代議士として、あるいは参議院議員としてこれを選出し、衆議院、参議院の二院の討議を経て国政を決定するものとした。これを間接民主制と呼び、国会を国権の最高機関としたのである。従って内閣総理大臣といえども国会の決議に従わねばならない。

国民は、国政の重要課題についてその詳細まで把握することはできない。現憲法は、人格識見の間違いない人々を国会へ送り出し、そこでの冷静な討論によって結論を出すことが、結局は国を過つことが少ないという歴史上の智恵に基づいている。日本だけではなく、ナチスドイツのヒトラー、中国の毛沢東など、国民投票あるいは国民に対する巨大な扇動で国策を左右しようとしたものはほとんど失敗しているのである。


昨年の郵政解散は、国会の結論を無視して国民投票を行ったのであり、これは直接民主制に等しく、二院による間接民主制という現憲法の趣旨を否定・逸脱するものと言わざるをえない。実質的には憲法違反の選挙であったと私は思う。また権力側を批判するのが仕事のはずのマスコミを味方につけた巧妙な「扇動選挙」であったと言えるだろう。

今後、民主党が二番煎じの手法をとり、議会制民主主義(間接民主制)を軽視して「扇動政治」を一層助長することを恐れる。怖いのは、靖国神社参拝問題、中国・韓国に対する反発、北朝鮮拉致問題などから、扇動的にナショナリズム(民族意識)を昂揚させ、一気に集団的自衛権の行使の容認など憲法九条の改正へと持ち込まれることである。小泉総理の民主党との大連立発言の背景にはそこまでの読みがあると思う。もっともその場合民主等は分裂してしまうだろうが、公明党と手を切っても数の上では憲法改正が実現する可能性がある。小泉総理はこの9月で退任すると言われているが、その後継者にはそのようなことを考える人物には出て欲しくない。また同様の観点から、防衛庁の「防衛省」への昇格には私は反対する。

公明党は、生活者・庶民の視点から、地に足の着いた常識と歴史の英知に基づいて間違いの無い判断をしていかねばならない。気分や流行で政治を行おうとする自民党や民主党に対して、ブレーキをかけ、国民のために聡明な判断をするのが公明党の役割であることを申し上げておきたい。




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