政治において日本の前時代的遺物を破壊し、改革していこうとする小泉総理の手法には一定の評価はできる。経済も着実に良くなってきているように見える。しかし、結果として生まれたものは、「勝ち組と負け組」という言葉に象徴されるように、人間が手段化され、簡単に部品のように取り替えられ、切り捨てられていくような殺伐とした冷たい社会のような気がしてならない。そこに人々の不満が鬱積しているのである。
昨年の郵政解散で小泉自民党が大勝利した理由は、国民が民営化を理解したからではなく、「利権と縁故による旧い政治」を打破しようと叫ぶ小泉氏の姿が、不満を抱いた多くの国民の共感を呼んだに過ぎない。すなわち、若い人々を中心に厳しい生活を余儀なくされ、それまで選挙に行ったことのなかった人々が、明治以来の既得権益の上にあぐらをかいているように見えた郵政事業に怒りの矛先を向けたために、自民党が大勝したのである。
資本主義の勃興期にはもっと大掛かりに、労働者を使い捨てしていく時代が西洋にはあった。それをマルクスが資本論を書いて分析し、さらにレーニンや各国の科学的社会主義者と名乗る革命家達が共産主義国家を樹立した。しかし、壮大な社会実験を経て、結局は共産党の特権エリートが、多くの人民を搾取し支配する貧しい独裁体制を作り上げただけであることが明らかとなった。つまり、共産主義とは、共産党による国家支配が目的であって、労働者はいつまでもその手段に過ぎなかったである。 |