哲学に学ぶ(第3回)


カント『道徳形而上学原論』 ( 篠田英雄訳 岩波文庫 )

『君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し、決して単なる手段として使用してはならない』(同103頁)

小学生による同級生の殺人、親による子どもの虐待、子どもによる高齢者の虐待、無抵抗な小学生に対する集団虐殺、大人による子どもへの性犯罪、企業における強烈なノルマとリストラ、その結果としての過労死、経済苦や病気を原因とする自殺の増大、世界に眼を向ければ、イラクをはじめとする自爆テロによる無差別殺人、民族紛争や戦争など、まさに社会の根底における道徳 ( 倫理 ) が問われる事件が続いている。

そこで日本の知識人の間には新たな道徳の確立を訴え、武士道や教育勅語などの復興を模索する動きが出ている。また政治家の間では、教育基本法を改正し「国を愛する心」を通じて、様々な道徳上の問題の解決を図ろうという動きもある。

しかしこの著書の中でカントが言うように、個人的経験に依拠した『通俗的実践哲学』は、『方々で寄せ集めた観察と半ば詭弁的な諸原理との、見るからに嫌らしい、ごたまぜ物』である。そして『感情や傾向から生じる動機に種々雑多な理性概念をつきまぜて拵えあげた、ごたまぜ道徳学は、(中略)随順すべき原理をもたぬところから、極めて偶然に人を善に至らしめることもあるが、しかしまたしばしば悪にも趣かせるのである』。通俗的実践哲学は、属人的な好みや欲望に基づいて様々な考え方を取り混ぜたお説教でしかないし、万人に妥当するものではない。

カントは道徳上の最高の実践的原理(定言的命法)は、上記のようなものになるとともに、自然科学に一定の客観的法則・真理が存在するように、この原理は道徳(倫理)上の普遍的法則であるという。

自分自身の怒りや憎しみ、絶望あるいは欲望という目的を達成するために、他人を傷つけたり自殺を図ることは、まさに自分や他人の人格・人間性を手段として用いていることになる。あらゆる組織・社会においても深く注意せねばならないことだ。

教育基本法を改正するとしても、カントの普遍的原理を導入するというのであれば理解できるが、「国を愛する心」を書き加えたところで、深刻な問題が解決に向かうとは全く考えられない。イラクにおいても確かに米国に対する憎しみは理解できないことはないが、しかし自爆テロは憎悪という目的のために最高の人間生命を手段化しているのであり、そのようなことを正当化する指導者や思想は、道徳上の普遍的原理からして完全に間違っていると言わざるを得ない。

私どもの政治の理想は、一人一人の人間の生命を絶対的価値とみなし、自分だけではなく他人の生命をも最大限に尊重しゆくような社会の実現である。政治の仕事はカントの言う道徳上の普遍的法則を、具体的な活動の中で実践することであり、さらに社会全体にこの法則を押し広めてゆくことにある。

学生時代に難解であったカント哲学だが、今読み返してみて、カントの思索は現代社会を考える上でも大きな示唆を与えてくれることに驚かずにはいられない。


つづく

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