京都市会議員(上京区選出)への転出を決意

このたび、私はこれまでの衆議院議員選挙から、明年4月11日の京都市会議員選挙への立候補を決意致しました。前例のない方向転換ではありますが、大局的、長期的に考えて決断したものです。

平成五年に衆議院議員選挙に初当選し、一期三年三ヶ月の間、細川連立内閣の与党の一員として、大蔵委員会などで存分の仕事をさせて頂きました。その後野党に下り、新進党に合流。日本政治の構造改革をめざして奮闘して参りましたが、初の小選挙区制度で実施された二回目の衆議院選挙では残念ながら一敗地にまみれました。以来、雪辱を果たすべく一年十ヶ月の間精進を重ねて参りました。

この間、人生と社会そして政治とは何かについて、
徹底的に思索を続けて来ました。その結論として、政治の基盤は政治家と国民との信頼関係にある。この信を取り戻すことこそ最優先でやらなければならないと確信したのです。そのためには、世間的な見栄や外聞を捨てて、政治を一からやり直すことだ。初心に帰って市会議員から再出発をし、国民と心の通いあう、血の通った政治を再構築しなければならないと考えました。

単純な選挙戦術で言えば、今回の参議院選挙で福山哲郎君が当選されたので、衆議院京都一区では非自民・非共産の候補として私が当選する可能性は随分高くなったのですが、今一度、何を21世紀の政治はなすべきかをよく検討する必要があると思ったのです。永田町の論理ではなく、市民のひとりひとりと接し、皆さんの声を今一度よく聞き直し、ともに考え、ともに語り、ともに行動する中に、新しい政治のフィールドを拓くヒントがあるように思えるのです。政治にこそ、イノベーションが要求されています。

国政においても、今の政治家は時代についていけない人がかなり見受けられ
ます。また市民感覚からも遊離してしまっているのではないでしょうか。我々政治に 携わる者は、自分のために政治をやっているのではありません。国民の幸福を願って働いているのです。その原点に立つ時、私は自分の中のかなりのものを人に譲って、あえて潔く市会議員選挙に出ようと決意した次第です。

いろいろと非難・中傷される方もいるようですが、私は一向に気にしません。このような大変動の時代にあって、従来の発想ややり方に固執していては、生き残ることはおろか、未来を創造することなどできるはずもありません。前例がないからこそやる。これが私の生き方です。
戦後の焼け野原の中で、私たちの先輩はリヤカーを引いて頑張りぬき、高度経済成長を達成してこられました。私も政治の世界でリヤカーを引いて出直します。なにとぞよろしくお願いします。

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