「憲法改正問題」について(私見)

憲法記念日街頭演説会を開催=2012/5/2 京都市

【写真】憲法記念日街頭演説会を開催=2012/5/2 京都市

私は、「憲法改正」に絶対反対というわけではない。憲法を改正しなければ、どうしても国家運営や国民生活が成り立たない場合には改正すべきである。ただし、慎重に考えた方が良いと思っている。特に9条に関してはそうである。その理由について簡潔に述べたい。

理由1. 「憲法は国家の最高規範であること」

憲法96条は、改正には衆参の総議員の2/3以上の賛成発議と、国民の過半数の賛成を要求している。このような「硬性憲法」になった理由は、憲法が国家の最高規範であるからであり、それを変更するには野党も納得するほどの慎重な議論を要求しているとみるべきである。したがって、「96条は手続きを定めたものだから、簡単に変えられる」と思うのは間違っている。

理由2. 「憲法は国家権力を縛る道具であること」

憲法は、現代の民主主義国家において、民意を反映した政府をも縛る合理的な自己抑制の手段である。時代の空気やムードによって国民が正しい判断ができないこともありうる。従って、あらかじめ憲法によって権力を拘束する立憲主義の理念を掲げ、拙速な判断に一定の歯止めをかけるものである。

現在の小選挙区並立制では得票率が低くても、第一党は過半数の議席を制することが多い。改正発議の要件を過半数とすると、時代の空気やムードで憲法改正が簡単に発議されることになる。また、政権交代のたびに、憲法改正が国民投票にかけられるというのも、憲法が不安定な状態になり危険な事態を招くことになる。

理由3. 「現憲法は日本の国会議員によって審議し議決された」

確かに現憲法は、GHQの手によってその草案は作られたものであるだろう。しかし、その後日本の議会において日本語で審議され、生存権の規定や国家賠償などの条文が加えられ、日本の国会議員によって議決されたものである。審議し議決したのが日本の政治家である以上、押し付け憲法と言い切れるだろうか。また、その後様々な議論はあったけれども、60年以上も改正されなかったことは、日本国民が改正を望まず現憲法を認めてきたということだ。決して嫌々ながら屈辱的な憲法を受け入れてきたとは言えない。最高裁が時代状況などに合わせて解釈改憲を行ってきた部分があることも事実である。

理由4. 「政治は結果責任であること」

憲法9条を改正する場合には、特段の慎重さを要する。日米関係や日中関係に大きな影響を及ぼすことは疑いない。その結果、経済情勢も動揺するだろう。9条は確かに読みにくい文章だが、ポイントは「海外での武力行使を禁じている」ことだ。これを可能にするならば、個別的自衛権の行使以外の武力行使(戦争)を容認するということになる。


政治は結果責任であるから、たとえ心情や理屈が正当であるとしても結果が悪ければ全く意味をなさない。政治は、常に結果を考慮しながら動かなければならない。安易に改正に向けて動き出すのは、取り返しのつかない事態を招く可能性がある。


理由5. 「96条先行改正は王道ではない」

憲法のどの条文をどのように改正するのか、具体的な内容を議論する必要がある。現在も国会の憲法審査会において憲法論議がなされているのだから、その結論を見て国民の機が熟すのを待つ必要がある。96条だけ先に変えるのは王道ではない。現在の国会議員は、現行憲法のもとで国民の代表として選ばれているのだから、正々堂々と2/3の賛成を集めて改正の手続きをとるべきだ。


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