二大政党制で破滅した大日本帝国の歴史に学べ。

4年前の郵政解散の時は、小泉元総理が「郵政民営化、是か非か」と絶叫して自民党が大量得票した。その後自民党が内紛等でゴタゴタすると、今度は民主党が「政権交代」というキャッチフレーズで国民を洗脳して、ほとんどの票が民主党へと流れようとしている。しかし、このように空気やムードを煽って劇場化し、大きく流動する政治が本当に正しいのであろうか。本当の政治とは、どの政党が「平和を守り、国民の生活を守る」政党なのかが問われるべきである。

 民主党のマニフェストが発表されたが、その大盤振る舞いの財源についてはその実現に疑問を持つ方々も多い。その上で私は、二大政党制そのものの有効性について、歴史的な視座から指摘をしておきたい。それは、「戦前の大日本帝国は二大政党制であった。しかし、それは失敗し国を破滅させる大きな要因となった。」ということである。

 大正デモクラシーの頃には、政友会と憲政会(後の民政党)の二大政党制が確立していた。しかし両党は政権をめぐって互いに激しく争い、スキャンダル合戦など足の引っ張り合いにあけくれていた。政権交代のたびに党利党略で官僚が入れ替わり、知事まで政友会系から民政党系へと交代するという始末だった。そのために、官僚たちは政党政治に失望した。政権交代のたびに政策がころころ変わるのでやる気をなくしてしまったのである。

 民政党の浜口雄幸内閣が締結した「ロンドン海軍軍縮条約」が、天皇の統帥権を犯すものであるとして、犬養毅・鳩山一郎などの政友会が激しく攻撃。このことが原因でとうとう民政党の浜口雄幸総理が東京駅で狙撃され翌年死亡。折しも世界恐慌の時代。軍部は政党政治にまかせていたらどうにもならないと判断し、満州事変を起こし暴走していく。ついに政党政治は廃止され、大政翼賛会として戦争に突入し、日本は破滅した。

  二大政党制だけでは、日本では失敗することが歴史上証明されているのではないか。政権をめぐって国民不在の権力闘争、あるいは、国民の歓心を買うために劇場化した「悪しき大衆迎合の政治」をやるからである。そこで戦後、資本家でもなく労働組合員でもない庶民・大衆に直結した政党、公明党が作られたのである。政治がブレテ非現実的にならないように、ブレーキをかけたり安定化させたりする政党が不可欠なのだ。それが公明党の役割である。なお、当時から共産党も社会主義政党も存在したが、歴史上の事実として何の力にもならなかった。

  このような歴史に鑑みると、今回民主党がマニフェストで、「比例区の議席を80削減する」と約束しているが、これこそ社会の少数者や弱者の意見を切り捨て、弱肉強食の二大政党制を志向するものではないか。まったくおかしいと言わざるを得ない。社民党や国民新党などが民主党と連立を組むのは、自分で自分の首を絞める矛盾そのものである。

  私は、今回の総選挙を、強大な二大政党間の政権選択というよりも、むしろ労働者の70%を占める中小企業で働く人々や、地方の地域で暮らす人々、また高齢者・障害者・母子家庭・仕事がない若者など社会的弱者の、命と生活を守るための戦いと捉えている。その意味でも、「庶民・大衆の党」、「清潔な党」、「平和の党」、「命を守り人を育む党」公明党が躍進しなければならないと決意している。

つづく

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