「新自由主義」から「人間主義」の社会経済システムへ

資本主義は必ず恐慌を生む。この点については、マルクスの主張は正しいと思う。この恐慌を克服するために、戦前においては、帝国主義戦争か共産主義革命か、あるいはファシズム運動が遂行された。しかし、そのいずれもが、恐慌よりもはるかに悲惨極まりない災禍と不幸を、人類にもたらした事実を決して忘れてはならない。私たちは、歴史の教訓に深く学ぶ必要がある。

 今回の世界金融経済危機もほとんど恐慌といえるが、今、密かに着々と、戦争や共産主義革命、あるいは右翼的ファシズム運動に期待する流れができつつあるように見える。これは恐ろしいことだ。断固として歴史の失敗を繰り返してはならない。

 そこで、米国をはじめとする世界の先進諸国は、総額500兆円規模の需要創造や自由貿易体制の維持など、国際協調にもとづいた政策を打ち出している。これらが実行されれば、遅かれ早かれ危機は乗り切ることができよう。

 しかしより根本的な問題は、資本主義社会を覆う社会の思想が問われているということだ。すなわち、この約30年の間、主要な資本主義諸国では、レーガン・サッチャーに代表される「新自由主義」が主流となってきた。規制緩和、民営化、市場原理主義、経済効率優先、利益至上主義、株主資本主義などの言葉に象徴される思想である。

 これらは、かつて悪平等に陥り、既得権益を声高に主張して、財政赤字とサービスの低下をもたらしてきた国有企業の改革や、銀行の不良債権処理を促したという点では評価できるものであった。他方、人をモノとして扱う傾向の助長、弱肉強食、格差の拡大、人々の分断と孤立化、連帯感の喪失、都市の発展と地方の疲弊、地域共同体の衰退などの深刻な問題が露呈してきた。

 この度の米国発の危機は、行き過ぎた「新自由主義」の破綻ともいえよう。このような背景から近年、日本でも小林多喜二の「蟹工船」ブームがあったり、マルクス主義への関心の高まりがみられる。しかし、だからといって共産主義革命が正しいというわけにはいかない。マルクスの言うように、現実の資本主義社会を否定するには、それは明らかに暴力革命を伴う流血の事態を必然としているからだ。マルクス・レーニン主義を標ぼうする日本共産党は、今のところ一生懸命誤魔化しているが、どのように言い逃れしようとも国民を欺くものだ。

 一方で、戦前のようなあからさまなファシズムではないが、右翼的色彩を帯びた在日外国人排斥や少数者(マイノリティ)に対する差別的攻撃を繰り返す風潮が広がりつつあるように思える。インターネット上では特にその傾向が顕著だ。今回の大不況による失業などもあって、社会全体に閉塞感と不満が充満しており、そこをファシズム運動に付け込まれる恐れがある。ファシズムの特徴は、強力な国家体制によって国民の団結を図るものだが、愛国心の過剰な昂揚は、排外主義と戦争の導火線となる危険性をはらんでいる。

 公明党の「人間主義」は、「生命の尊重」をうたうとともに、人と人との「絆」、「連帯」を大切にするものだ。地球は陽の当たる部分と陰の部分とで構成されている。社会も同様だ。陽の当たる人だけで成り立っているのではない。陰で黙々と支える人々があって社会は成立している。公明党は陰で働く人々を大切にし、応援する政党である。

 今、このような趣旨から、「新自由主義」に代わる、「人間主義」の社会経済モデルの構築が求められていると思う。それは、単に国家の力で福祉などへの再分配を行う「社会民主主義」ではない。加えて、より広く深く社会全体の土壌にかかわるもので、人々に「希望と安心」を贈るものでなくてはならない。今後研究を進めていかねばならない。

以 上

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