東日本大震災レポート

報告者:伊藤(秘書)

津波で壊滅的な被害を受けた豊間地区=いわき市

【写真】津波で壊滅的な被害を受けた豊間地区=いわき市

 東日本大震災を受け、竹内事務所を代表して、救援物資(飲料水や衣類等)を届けに福島県いわき市や伊達市を訪問した。

 常磐道、磐越道、東北道とも、地震の影響でゆがみ、ところどころに段差ができ走りにくかった。

 いわき市駅前も地震の影響で、いたるところに地割れや段差ができており、住宅の壁やお墓、崖等もいたる所で崩れてしまっていた。駅前にも関わらず、放射性物質を心配してか、人の往来も閑散としていた。いわき市の住民から話を聞くと、「震災直後は、余震の恐怖に怯えながら、原発事故の風評被害で物資が入らず、また、断水も影響し、非常に苦しんだ」と言っていた。

 津波で壊滅的な被害を受けたいわき市の豊間地区は、堤防や家屋、車等が津波に押し流され、一面瓦礫と化しており、ところどころに後片付けをする住民の姿が見られた。また、近くの小名浜港でも甚大な被害が出ており、信号機も壊れ、行き交う車が道を譲り合っていた。茨城県の大津港でも岸壁が海に崩れ落ち、漁船が陸に乗り上げて散乱していた。

アスファルトが崩れ、船舶も陸に押し上げられた大津港=茨城県

【写真】アスファルトが崩れ、船舶も陸に押し上げられた大津港=茨城県

 一方、放射性物質濃度がほかの地域よりも高い中通りの伊達市でも住民から話を聞いたところ、洗濯物を屋内に乾かしたり、乳児を外に出さないなど、大変に苦労しており、また、震災直後は断水のため、やむを得ず、一週間以上、井戸水を沸騰させて飲んでいたことを非常に悔やんでおり、的確な情報が欲しいとの要望を受けた。

 今回、被災地を訪問し、あまりの悲惨な状況に唖然とし、被災者の心の痛みを感じた。苦しみ抜いた人々を一日も早く幸せにすることが政治に課せられた責任であり、災害に強く、自然と共生したまちを復興しながら、安全で安心して暮らせるよう、全力で取り組むことを心に誓い帰京した。





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