| 2025/8/27〜29
協力隊は開発途上国の人々のために、日本の政府開発援助(ODA)の一環として1965年に創設され、今日まで99カ国に累計5万7857人が派遣されている。現在フィリピンでは16名が活動しているが、今回全員に会い、やりがいや苦労話を伺うことができた。 職種は野菜栽培、防災・災害対策、コミュニティー開発、障がい児・者支援など多岐にわたる。ナボタス市のタンザ小学校では、貧困家庭の母親たちと雑貨を手作りし、販路拡大することで所得向上支援を行う活動を視察。さらに、同市のスラム地区を訪問し、言葉を失うほどの住環境のひどさに驚くとともに、日本のODAを通じた開発協力の必要性を痛感した。 マニラ首都圏および近郊の交通渋滞は深刻である。そのため現在、日本のODA資金で地下鉄を建設中であるほか、JICAは軽量高架鉄道(LRT)1号線の運営事業にも参画している。フィリピン政府との会談では、デイゾン運輸大臣やガバン沿岸警備隊長官から、日本のODAへの感謝とともに、引き続きの協力要請があった。 72年に派遣された吉原久雄さんは、現地住民との深い交流から住民の生まれたばかりの子どもの名付け親を頼まれ、自らの名前の一部を取って「ヨシオ」と命名したというエピソードも伺った。ヨシオさんは、今回の記念式典に現役隊員の配属先同僚として参加されていた。 先の太平洋戦争では、110万人ものフィリピン住民が戦闘に巻き込まれて死亡したといわれている。経済的な支援だけではなく、協力隊のメンバーが、フィリピンの発展と人々の幸福のために、60年の長きにわたり献身的に貢献してきた活動の歴史は、誠に貴く心からの敬意を表したい。これは、戦争で失われた日本の信頼を取り戻し、アジアの平和の礎ともなっている。 戦後80年の本年にフィリピン隊の現場を体感できたことは有意義であった。今後、公明党としても協力隊の活動を強力に応援していきたい。
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