政治の焦点

政治の焦点(第29話)

歴史認識・東京裁判・靖国問題・戦争責任(2)

まもなく戦後61年目の終戦記念日を迎えようとしているが、これだけの時を経てもなお国民の間に曖昧模糊としているのが戦争責任の問題である。今回は戦争責任の観点から靖国問題を考えてみたい。東京裁判では、A級戦犯が一応戦争の最高指導責任者としての罪を問われ、裁かれたことになっている。しかし、自民党の加藤紘一衆議院議員はこの点について次のように述べている。「太平洋戦争は天皇名義で行われた戦争であるという法制上の事実を突き詰めれば、議論は微妙になる。(中略)極東軍事裁判でも、天皇陛下は裁かれていない。国際社会との一種の政治的な妥協により、天皇陛下の責任を問わない代わりに、A級戦犯が責任をとったわけだ」(中央公論2006.8)。
 

評論家の柄谷行人氏は、「東京裁判が非難されるべきなのは、(中略)ここで天皇が免責されたことにあります。(中略)そのためにこの国際的法廷は、その普遍的理念性を失ったのです」(柄谷行人『倫理21』)と述べている。ご承知のとおり天皇制を維持し、昭和天皇を免責することを決定したのはソ連共産主義の浸透を恐れた米国である。 柄谷氏は、「最高責任者の責任が問われた後に、はじめて国民、そして個々人の政治的責任や道徳的責任が問われうる。もし日本人に過去への反省が欠けているとしたら、どこかに、自分たちが天皇の代わりに責任を問われるのは不当ではないか、という気持ちがあるからだと思います。本当は自分たちも天皇の命令でやった被害者ではないかという気持ちを捨てられない」(同著)という。

さて、A級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝に固執する人々の心のどこかに、天皇のために責任をとったのだという被害者意識が潜んでいるのではないか、というのが私の推論である。これまで彼らの論理は「あの戦争は、大東亜共栄圏の国々を植民地化してきた西欧列強からの解放と独立、並びに日本の米英に対する自衛のための正しい戦争であって、日本に戦争責任はない。従って東京裁判も認められない。A級戦犯は神になった。だから参拝する。」というものであった。

しかし歴史の事実として、戦争末期、日本は国体の護持すなわち天皇制の維持をはかって手間取り、その間に大都市への無差別爆撃や、さらに二度にわたる原爆投下という未曾有の惨劇を招いた。その結果、昭和天皇の裁断によってポツダム宣言を受諾し、無条件降伏することとなる。この間、日本側は国体の護持を条件として、ポツダム宣言を受諾する旨を連合国側に提示したが、連合国側は「天皇の統治権は、連合軍司令官の制限下におかれる」(外務省翻訳要旨。陸軍翻訳は『天皇の統治権は、連合軍司令官に隷属する』)、「日本国最終の政治形態は、日本国民の自由なる意志によって決定される」と回答した。従って、敗戦直後においては、国体の護持は保障されず、天皇の政治的責任は避けられないというのが常識であった。そのために天皇に対する臣下の責任として多くの人々が謝罪のために自殺したのである。

米国の力に屈し無条件降伏したのだから、負けた方の最高指導者が責任を問われるのは当然といえば当然である。ところが、東京裁判では昭和天皇は免責された。このような歴史的経緯からすると、現在の靖国参拝信念派の人々には、A級戦犯が一切の責任を引き受けさせられたという被害者意識と無念さが感じられるのである。

ところが、最近になって昭和天皇の発言を書き留めた元宮内庁長官の富田朝彦氏のメモが発見された。このメモの信頼性は高いとされているが、それによると、昭和天皇はA級戦犯の靖国神社への合祀に強い不快感を示していたと報道されている。解釈には多少の幅はあるかもしれないが、少なくともA級戦犯合祀が原因で昭和天皇が靖国神社参拝を取り止めたことは確かなようだ。ということは、靖国神社参拝にこだわりすぎると、かえって昭和天皇の御意志に反することになるのではないか。

大日本帝国憲法では、軍の統帥権、すなわち「作戦用兵の目的を達するために陸海軍を統括して活動させる国家作用は、性質上専門的知識をもって機密裡に迅速に行われることが必要であるので、国務大臣の輔弼(大臣助言制)の外におかれ、天皇が単独で行うべきものとされた」(芦部『憲法』)。つまり統帥権については天皇の大権であり、内閣・議会の関与が否定されていたのである。しかし「実際には政府からまったく独立の地位にあった軍令機関(陸軍参謀総長・海軍軍令部総長)が輔弼の任を務めた」(芦部同著)。このような旧憲法の統帥権を盾に、1931年以降1945年に至るまで軍部が独断で戦争方針を決定し、政府や政党の介入を排除し暴走していったのである。従って、すでに政府見解となった日本の侵略戦争に対する重大な責任を負っていたのは、やはりA級戦犯であることに変わりが無い。

戦争責任というのは、間違った無謀な戦争を始め遂行した結果、計り知れない惨禍を被った国民に対する責任であり、また中国をはじめとする東南アジアで殺戮された一千万以上に及ぶ犠牲者に対する責任であるべきだと私は思う。この問題はできるだけ多くの日本人に筋道をたてて考えてもらいたいと思う。

つづく。

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