憲法改正問題について(その1)

自民党が 2005 年に、民主党は 2006 年に憲法改正草案を提出するという。しかし、この問題を考えるにあたっては、何故憲法を改正しなければならないのか、その理由を問うことが最も重要である。一国の基本法である憲法の改正には、相当の必然性があって然るべきであろう。そこで改正理由とされる事柄を挙げながら、私なりの考えを述べてみたい。

理由の第一は、現在の憲法は条文とそこから導かれる解釈がかけ離れすぎていて、一般国民にはわかりにくいという声が多いことだ。一見もっともなようにも思える。

しかしながら、それは国法の基本的原理を示している憲法であれば当然のことで、いくら改正したところで、時代とともに判例等により憲法の解釈は展開される。それが法のもつ宿命なのだ。実際にそのような条項は相当な数にのぼっている。果たして改正によって解釈を一々明文化することに、どれほどの意味があるのだろうか。明文化した途端に、新解釈が生まれていることもありうる。また、既に解釈として国民生活に定着している事柄について、大変なエネルギーをかけてまで改正することは無駄の極みである。国会はそれほど暇ではないはずだ。

次に、単に国民へのアンケート調査で、憲法改正支持派が増えているからということを理由に挙げる人がある。しかし、アンケートが国民の意識を正確に反映しているかは疑わしい。特に憲法問題のように、専門的な知識が一定要求される場合はなおさらである。また、アンケートをすべての根拠とするなら、アンケートで政治をやれば良いのであって、政治家の見識など全く不要ということになる。

第三に、現憲法は米国に押し付けられたものだから、変える必要があるという意見も未だにある。しかし、仮にそれが事実だとしても戦後半世紀以上にわたって、現憲法は国民の間で追認され、日本の憲法として承認されている。押し付け論は改正のための説得力ある理由とは言えない。

このように考えてくると、憲法を改正すべき理由はほとんど無いことがわかる。それにも拘らず憲法改正を叫ぶのは、九条を変えたいということなのだ。憲法改正論議に九条が入らないのであれば、誰も真剣に憲法改正のことを考えないし、マスコミでも問題にならないだろう。

九条改正者たちの主たる思惑は、(1)憲法に自衛権を明記する、(2)自衛隊に個別的自衛権以上の武力行使、すなわち集団的自衛権の行使を認めること、(3)また世界の集団安全保障のシステムに自衛隊を組み入れ、武力行使ができるようにしたいということにある。

私は、これら改正論者の発想にどうも危ういものを直感する。なぜ彼等は九条を改正したいのか。その理由こそが徹底して問われなければならない。次回から彼等の理由を検証してみたい。その前提として、かつて日本があの無謀とも言える太平洋戦争に突入し国を壊滅させた歴史を深く学び、そこから教訓として何を汲み取るかがとても大切なことのように思う。それによって初めて改正の当否が明らかになるのではないだろうか。


 つづく

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