2005年の文明論的課題

世の中は、「漫才」と「手品ブーム」であるらしい。それだけ人々の心が鬱屈しており、嫌なことを笑い飛ばしたい、あるいは世の中を手品のようにあっという間に変えてしまいたいという願望の現われなのだろうか。暴力にエスカレートすることを防いでくれるなら、健全な娯楽である。

しかし他方では、奈良の小学生女児誘拐殺人事件のように、社会の歪みが相当に深刻であることも事実である。凶悪犯罪は後を絶たない。米国流の競争社会。人々をすぐに「勝ち組」と「負け組」に分けたがる奇妙な風潮。その結果児童虐待や DV など、その不満のはけ口は弱者に向かう。政治としては、このような悪循環は断ち切らねばならない。

今や経済が世界規模になっており、特に米国との関係が深い日本では、米国の考え方を受け入れざるを得ない。しかし経済競争には負けられない。中小企業や労働者など弱い立場にあるものがそのしわ寄せを受ける。これは難問である。日本の経済界のトップには、「サムライ」スピリットを発揮してもらいたいと思う。古来「サムライ」は弱い者いじめはしないのだ。慈悲こそ最高の道徳である。弱肉強食だけでは社会は成り立たない。思いやりが無くては良い社会とは言えない。政治は経済界とともに、このような立場から具体的な政策展開をする必要がある。

メディアや小説家、文化芸術に携わる方々にお願いしたいのは、たとえ、何回負けたとしても、そのたびに新しい希望と勇気をもって立ち上がってくる、柔軟で粘り強い、勝利の物語を創って欲しい、あるいは発見して欲しいということである。また、不条理に苦しんでいても、それを決して他人や環境の責任にするのではなく、周囲の人々に思いやりをもち、我慢して耐え抜く人間の強さ、美しさを描いて欲しい。幸福のあり方は一様ではない。人間の数だけ幸福の数もある。それは新しい幸福のモデルを創造することでもある。「勝ち組」「負け組」などという馬鹿げた思考方法を是非とも打破してもらいたい。私がこのようなことを言うのは、日本文明の底流に流れる基本思想は健全であって欲しいと願うからである。

さて、世界に眼を転じると、最大の課題は「テロ」と「戦争」をどうやって防いでゆくかということであろう。イラク問題の解決は非常な難問だ。しかし大事なことは、イラク問題は決して「文明の衝突」ではないし、そのような構図にしてはいけないということだ。キリスト教・ユダヤ文明とイスラム文明という「異なる価値の共存」が前提でなければならない。米国とイスラム諸国との官民様々なレベルでの相互理解・交流をもっと進めてもらいたい。テロリストたちが、イスラムの教えに背いていることを世界中の人々に知らしめなければならない。そのことによって、テロリストの大義を失わせるのだ。

このような中で日本に何ができるのか。我々はイスラム圏の国々との関係強化に乗り出すことがまず必要である。この度のスマトラ沖地震による津波災害に対して、日本はいち早く支援に駆けつけ、政府として総額5億ドル ( 約 500 億円強 ) の援助を表明した。さらにイスラム文化の理解と相互交流の輪を広げる施策を実行に移すべきである。

遅れてきた大国「中国」の大発展、地球温暖化問題、イラク問題等々世界を揺るがすテーマには共通の「構図」があるように思える。それは「科学技術を始めとする知識の発展、人間の欲望の肥大化、結果として差別と対立の世界を生み出すという構図」である。

S. ハンチントン博士の「文明の衝突」という著作が有名であるが、しかし現実の政治は「文明の共存」でなければならない。西欧文明の中でも「自由」と「民主主義」はとても大切な価値ではあるが、それを他の文明諸国にも同様に押し付けることはできないだろう。世界の各地域固有の文化や文明は尊重されなければならないし、ましてやひとつの文明で世界を制覇するなどとは考えるべきではない。    

とは言うものの、現実に世界を覆い尽しているこの「構図」のもとで、「文明の共存」を実現するためには、日本文明の叡智を具体的に提示できるかどうかが問われているのだと思う。


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